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シミュレーション仮説と不死の物理学

宇宙論、宇宙物理学などに関心がある人達の間で語られる話題のひとつに「シミュレーション仮説」がある。この世界は我々も含めて仮想現実であるとするものだ。荒唐無稽なSFのような発想だが、一部の科学者によって支持されている。シミュレーション仮説は伝統的な宗教の認識とも符号するものもあり、21世紀の死生観に大きく影響するのではないかと考えられる。


シミュレーション仮説とは

オックスフォード大学教授で哲学者のニック・ボストロムは、この世界が超知識を有する「ポスト・ヒューマン」によってコンピューター内でシミュレートされた仮想現実であるとする「シミュレーション仮説」を提唱した。ポスト・ヒューマンの正体は進化した未来人か、超科学文明の宇宙人かは不明だが、高度な文明において、彼らの好奇心がシミュレーションを実行するに違いないとボストロムは主張する。

荒唐無稽に思えるが、近年の人類レベルですら、VR(バーチャルリアリティ)技術は飛躍的に進歩している。既に我々自身もVR装置によってコンピューター上における世界と現実との境界が曖昧になる体験をすることができるまでに到達している。しかしVR装置を外したところで、そこが現実世界だといえるだろうか。そこもまたVRであると言われて反論できるだろうか。


仮説を裏付ける傍証 ゴルディロックス・エニグマ

物理学では宇宙・自然界の物理法則が生物にとって、都合よくできすぎている不思議な事実を「ゴルディロックス・エニグマ」と呼ばれている。「ゴルディロックス」は「ちょうどよい状態」との意味である。太陽と地球の距離や角度、重力の強さ、酸素の濃度など、絶妙な値でファイン・チューイングされていなければ、地球に生物は生まれなかったという。まさに前回述べた「創造論/ID論」が指摘するように何らかの意志が働いているようにも思える。しかし、「偽遺伝子」のように、機能を果たさなくなった無意味な存在も数多くあり、全知全能の神にしてはかなり中途半端な印象を受ける。しかしシミュレーション仮説が事実なら、ポストヒューマンはあくまで超高度な人類であって神ではない。神でない以上は多少の失敗もあるというものだ。

一方で自然の仕組みがデジタル的なものである事実も指摘される。例えば、原子核の周りを周回する電子の回転半径を変えるとき、別の回転半径にジャンプする「量子ジャンプ」と呼ばれる現象がある。電子がジャンプする間の中間が存在せず、瞬間移動の様相を見せるという。つまり自然の構造は飛び飛びで不連続なデジタルであり、我々にはそれがアナログに見えるだけである。自然のデジタル性は隠蔽されているとも言える。デジタルであるとすれば自然はコンピューターであるとも言え、シミュレーション仮説に説得力が増してくる。数学や物理を学ぶとなぜ紙に書いた数式通りに世界は動いているのかと驚く。アインシュタインも「世界が数式で理解可能なことが最も不可解」だと言っている。これも世界がシミュレーションであれば当然のことである。


仮設を裏付ける傍証 主観世界

「ゴルディロックス・エニグマ」が我々から見た外界の構造に関するものであるのに対し、他方では意識の構造が問題となる。というよりこちらこそシミュレーション仮説の本題である。そもそも私たちが見て聞いて感じるこの世界は実在しているのだろうか。哲学者 ヒラリー・パトナム(1916〜2016)は「培養液の中の脳」という思考実験を行った。 コンピューターにつながれた培養液の中に浮かぶ脳が経験している仮想現実であるというものだ。映画「マトリックス」を連想する人もいるだろう。人間たちが現実だと思っていた世界はコンピューターによって脳に送り込まれた仮想現実であったというものだ。

この仮説を否定することは難しい。私たちが認識している世界はすべて脳内現象に他ならない。例えば視覚は目から入った光が網膜を刺激し、電気信号が与えられた脳が像を結ぶに至る。私たちは対象そのものではなく、あくまで脳に投影された像を認識しているに過ぎない。認識が脳の枠を超えることはありえず、その領域に何があるのか、あるいは何もないのかは絶対に知ることはできない。脳を超える何らかの意志によって与えられた世界である可能性は否定できないのだ。

この「何らかの意志」めいたものは脳科学でも示唆されている。生理学者 ベンジャミン・リベットの実験は大きな衝撃を呼んだ。脳波の計測装置を取り付けた被験者が、時計の針が任意の数字を指す瞬間に手首を曲げる実験を行った。予想なら手首を動かそうと思った時に脳波が立ち上がるはずである。実際脳波が立ち上がって500ミリ秒後(0.5秒)に手首は動いた。ところが、自発的意識が感知されたのは、脳波が立ち上がってから300ミリ秒後のことだった。この最初の300ミリ秒の脳波は何なのか。結果通りに見れば意識より先に脳が動いたことになる。つまり手首を動かそうとしたのは、我々の意志ではないのである。ここから自由意志は存在しないと断言する科学者は多い。自由意志がないのなら我々は自分の意志で行動していると思いこんでいるが、実は何らかの意志にプログラミングされている可能性は否定できない。我々が認識しているこの世界もプログラミングされた映像に過ぎないかもしれない。


人間はプログラミングされた存在?

客観世界も主観世界も現実には存在せず、何らかの意志によって与えられた仮想現実である可能性がある事がわかった。では、我々がいま実感しているこの「意識」や「自我」は何なのか。それもシミュレーション世界の住人とすればすべて説明がつく。

意識の正体が脳内の電気反応であり、その反応のパターンをすべて解析できれば、そこに意識が生まれることになる。少なくとも科学的にはそうなる。そして脳内で展開される電気信号と完全に同一のパターン信号が超科学文明のスーパーコンピューターで実現したなら、それは意識を実現することと同じではないのか。

ボストロムによると、人間(1人)の脳内パターンを解析するには1秒あたり10京回の計算量が必要だという。しかし既にスーパーコンピューター「京」が1秒あたり1京回の処理能力を実現しており、後継機の「富岳」は「京」の100倍の性能が期待されている。これにコンピューター開発は指数関数的に進歩するという「ムーアの法則」を適用すれば、ボストロムの予測は遠くない未来に実現する。まして超科学文明の未来人や宇宙人ともなれば荒唐無稽では済まされないとも言える。このコンピューターの進歩は我々にシミュレーション仮説に気づかせるためのプログラミングかもしれない。

いや、そんなことはない。我々が未来人(宇宙人)のスパコンの中で展開されるデータだなんてとんでもない。私たちには心があるじゃないかと反論する向きもあろう。しかしその心とは何か。どこにそんなものがあるのか。霊や魂を想定すれば脱出できるかもしれないが、科学はそれを認めない。

ところが仏教では既にそれを説いていた。人間には不変など実体はないとする「無我説」である。仏教では人間を成り立たせている要素を、色(肉体)・受(感覚)・想(想像)・行(心の作用)・識(意識)の五つの要素に分類した(五蘊)。これらがその人の因縁によって仮に集まっただけで元々固有の実体は無いと説く(五蘊皆空)。つまり仏教とシミュレーション仮説は同じことを主張しているのである。この「因縁」なるものをポスト・ヒューマンの意志だと考えれば、一神教の創造主の説明もつく。シミュレーション仮説は宗教観にも大きな影響を及ぼすことも考えられる。


不死の物理学

それでも自分がパターン化されたデータなんてと嫌悪する人も多いだろう。しかしこれは見方を変えると死生観が大きく変容する可能性がある。シミュレーション仮説が正しければ私たちの存在はコンピューター内におけるデータに過ぎない。しかしボストロムはシミュレーション仮説による死後の世界の実在を示唆する。データは永遠の命だというのだ。確かにコンピューター内のデータは消去しなければ、保存され復旧することも可能である。その意味では「死」=消滅は無いことになる。

ただ、シミュレーション仮説では死後の世界の存在は難しくなると思われる。死後の世界を創ることで生じる負荷はとてつもない量となるだろうからだ。死後の世界の住人は増える一方で減ることはない。
データを刷新して使い回す方が効率的であるから、輪廻転生の方が実現していそうではある。稀に報じられる前世の記憶というものも(虚言でないなら)、ポストヒューマン=神ならぬ人間の作業なのでデータ書き換えの際のミスであると考えられる。しかし転生の場合はほとんど記憶が無いので自己同一が図れない。つまり死と同じことである。シミュレーションであろうと現実であろうと死は死なのだ。そもそも死後の世界を創る目的もよくわからない。

これに対し、ボストロムより10年前に数理物理学者 フランク・ティプラーが「オメガポイント仮説」を提唱している。シミュレーション仮説がこの世界そのものが仮想現実であるとするのに対して、オメガ仮説は遠い未来の宇宙において、我々のデータが復旧され「復活」するというものだ。ティプラーによれば「ムーアの法則」通りに指数関数的に発達すれば、宇宙を制御可能な究極レベルの知性にまで到達する。ティプラーはこの到達点を「オメガ点」と呼ぶ。オメガ点に至った究極の知性は宇宙の全生命のシミュレーションを実行するとし、超未来におけるスーパーコンピューター内において我々は復活すると予測している。


シミュレーション仮説の可能性

ティプラーはシミュレートによる復活について「愛する人が亡くなっても悲しむことはない。いつか必ず再会できる」と述べている。シミュレーション仮説は一見ショッキングな理論に思えるが、現実でも仮想現実でも我々に真偽を明らかにする手段はない以上どちらでも変わりはない。それならば遠い未来の復活と再会を信じるのもいいかもしれない。シミュレーション仮説を巡っては様々なテーマやトピックが存在する。21世紀における新たな世界観や死生観となる可能性も含んでいるのである。


参考資料

■冨島佑允「この世界は誰が創造したのか シミュレーション仮説入門」河出書房新社(2019)
■ベンジャミン・リベット著/下條信輔訳「マインド・タイム 脳と意識の時間」岩波書店(2005)
■NICK BOSTOM「ARE YOU LIVING IN A COMPUTER SIMULATION?」(2003)


ライター 渡邉 昇

記事掲載日:2020/07/31

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