墓じまい、葬式離れ、無宗教葬と、葬儀の形式は大きな変化を迎えている。核家族化や無縁社会など、かつての家族の在り方そのものが変化しつつあるのは事実である。しかし、そうした変化のイメージは、都市部からの一方的な情報の流出によるものが大きいのではないだろうか。
葬儀の形式が変化している
通夜や告別式を行なわない直葬という言葉が定着しつつある。散骨や自然葬も珍しい言葉ではなくなった。散骨はいかにもすべての生命の故郷である海に還るというイメージがあり好感を持つ人が多いだろう。また葬儀はするが僧侶は不要とする人もいる。理由としてはお布施などの経済的負担や葬儀における自由度などが挙げられる。特定の宗教色(この場合は仏教)を排除しても故人を悼む人たちの気持ちは変わらない。いかなる形式を選択しようとそれ自体は個人、遺族の自由である。しかし本当にそれだけだろうか。
メディアによる都市型情報の洪水
このような表現が適切であるかはわからないが、ゆるやかな「文化大革命」が進行しているようにも思える。葬儀、法事、法要などの伝統的な儀礼文化には、慣習、しきたり、習わしといった要素に満ちている。そのような言葉には旧態依然とした響きがあり、ムラ社会、閉鎖的など、現代では良いイメージはほとんどない。対してこれを否定しようとする言動には進歩的で耳触りが良い響きがある。こうした脱伝統文化的な言動は主に都市部から地方へ流出するものである。進歩的、前衛的な思想というものは都市の空気の中で知識層の間で育まれるものであることがほとんどだからだ。そしてそうした空気は都市部よりメディアを通して地方に流れてくる。
メディアが伝える情報はテレビにせよ出版にせよ、基本的に都市部、特に東京中心・東京発信にものである。ある住職は「メディアは東京・都市部の傾向や問題意識を流しすぎていると指摘している。都市型のライフスタイルは必ずしも地方地域社会に一致するものではない」と述べ、都市型の問題意識が日本全国の地域社会にまで流用されていると指摘している(注)。
(注):「葬儀は、要らない、か?」(真言宗智山派 金峯山 長谷寺ホームページ)
都市部の情報とは大きく乖離している地方の実態
葬儀離れなどは都市における核家族化が大きな要因であるが、地域社会においては未だ昔ながらの家族形態は維持されている。例えばNHKのバラエティ番組「鶴瓶の家族に乾杯!」は笑福亭鶴瓶とゲストが地方の町村を訪れ現地の家族と触れ合うという番組だが、都市に住む者からは信じられないほどの家族形態、家族意識が今も受け継がれているのがわかる。もちろんこうした番組はリサーチをした上で訪れるもので、過疎化の進む「限界集落」と呼ばれる村落が増加していることは確かだ。だからといってテレビを点ければ墓じまい、葬儀離れと東京を中心とした都市の事情ばかりを流され、都市型の問題意識が植え付けられるのは健全とはいえないのではないか。
都市化する地域社会
メディアや大手店舗、ショッピングモールなどの全国チェーン展開によって地域社会がその土地の個性を失い、どの街にも同じような画一化した風景が広がる「ファスト風土化」現象(注)は広がる一方である。今や地域社会は都市型文化に侵食され、ミニ東京の体を成している。昔ながらのその土地ならではの風景は失われつつある。
もちろん地域社会側からも反論はある。古い文化より利便性を求めるのは当然であり、なぜ都会ばかり便利な生活を享受して、田舎は我慢しなければいけないのかと言われればその通りである。たまの休暇にやってくるだけの外部の人間が、「自然を守れ」「風情がなくなる」などと言うのは、現地の人達は前時代の生活に甘んじろと言うに等しい傲慢な発言であるといえる。まして一人暮らしの老人などにとって不便な地域社会より、物流の発達した都会の方が住みやすいのは事実である。
(注)三浦展『ファスト風土化する日本―郊外化とその病理』洋泉社(2004)
都市化しすぎることの弊害
一方で、そこはバランスの問題だと思われる。地方で生まれ育った身として言わせてもらうと、通信や物流など生活の根幹に関わるような分野以外では、無いなら無いでそこまで困るものではない。全国で唯一、スターバックスコーヒーの店舗が無かった鳥取県の知事が「スタバはなくてもスナバ(砂場=鳥取砂丘)はある」と話し、世の人達の拍車喝采を浴びたことがある。その後、ついに鳥取の地にスタバが開店したが、スナバの方が味があると思うのは、特に生活圏内にスタバがなくても困らない筆者の主観であろうか(注)。
今後もミニ東京化現象は進んでいくだろう。危惧されるのは都市化によって地域住民の意識も都市型に変容することである。形が変われば中身も変わるものだ。服装を変えただけで意識に変化が起こることは誰しも経験することだろう。地方の都市化が進めばその問題意識も都市型となる可能性は高い。これもまたゆるやかな文化大革命と言えるのではないか。
(注):この発言を受けて開店したと言われる「すなばコーヒー」は自虐的なキャンペーンなどで、現在も人気を博している。すなばコーヒー
いま持つべき問題意識
伝統文化や宗教儀式を古臭い、いらないものだとする考えは、都会的であるとする考えはメディアのイメージに過ぎない。先の住職も述べているが、葬の文化、祖霊鎮魂の文化は日本人の精神文化の根底を成すものである。
果たしてその文化とは、利便性を犠牲にしてまで守る必要があるものなのか。それこそが地域社会が共有するべき問題意識であり、都市型の問題意識を受け入れる前に、もう少しだけ踏み留まって考えて頂きたく思う。