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今こそ問われる伝統仏教の社会貢献とその在り方

仏教、お寺、お坊さんと聞いて一般の人が抱くイメージは大きく2つに分かれるのではないだろうか。葬儀の時にお経を唱える仕事、あるいは滝行や断食を行う修行者といったところである。前者から檀家との狭い関係が、後者からは世間と隔離がイメージされる。しかし最近では仏教と社会参加、社会貢献についての運動が盛んになっている。


仏教系専門紙・中外日報のある日の社説

仏教系専門紙 中外日報の社説にこのようなものがあった。

「新型コロナウイルス禍が市民生活のあらゆる場面に悪影響を広げる中で、社会の一員たる宗教界も何らかの具体的取り組みを求められている。例えば社会で最も困窮する人たち、非正規雇用の派遣労働者や定住せずネットカフェで寝泊まりする若者は、経済活動の縮小で仕事を奪われて生活に困り、店の閉鎖で住む場所さえなくなって路上生活に移行しかねない。

宗教者による従来からのホームレス生活者への炊き出し活動や食糧配布もかなりの困難を伴うようになった。感染によるものではない生命の危機さえ心配されるという。〜中略〜過去には東日本大震災の際にも、宮城の宗教者らのNPOが従来の野宿者支援活動のノウハウを生かし、日々の食事供給や仮の住まいの確保などに乗り出した。〜中略〜例えば災害時の避難所のように、住む所がなくなった人たちに寺院や教会、神社などの空間を一時的に提供することは、少人数に限れば検討の余地があるだろう。多くの施設がすれば大きな助けになる。震災では教団レベルで信徒の宿泊施設を開放した例もあった。感染拡大防止の意味から対面での炊き出しなどは難しいかもしれないが、明日の暮らしにも困る人たちに何らかの生活支援をすることは知恵を出せば可能だろう」(中外日報 2020年5月15日より抜粋)


中国や台湾を中心に仏教の社会貢献は盛んに行われている

記事が指摘するような社会問題に言及し社会と連携・行動する「社会参加仏教」は「エンゲージド・ブディズム」(Engaged Buddhism)と呼ばれている(注1)。

仏教系団体による弱者救済、貧困支援といった社会活動は中国や台湾では活発に行われており、中でも台湾の「慈済基金会」(慈済会)は世界規模の慈善団体として環境問題や貧困支援に取り組んでいる。同会は東日本大震災の時も同会は被災地に多額の支援金を寄付した。その際彼らは組織や機関などは通さず直接配布を行い、総額は85億円にのぼるという(注2)

注1:「エンゲージド・ブディズム」の呼称はベトナム人僧侶 ティク・ナット・ハンによるもの。「社会参加仏教」という訳はランジャナ・ムコパディーヤ「日本の参加仏教」東信堂(2005)で用いられた。(末木文美士「仏教vs.倫理」ちくま新書(2006)参照)

注2:金子昭 「東日本大震災における台湾・仏教慈済会の救援活動」 (「宗教と社会貢献」1巻 2号 2011)


日本では新興仏教である創価学会や立正佼成会が社会貢献に敏感

日本国内では創価学会や立正佼成会などの新興仏教(新宗教)が世界規模の社会活動を行っている。特に創価学会は政権与党の一翼を担っており、その政策についての賛否両論はあるにせよ、お題目を唱えるだけではなく実際に社会に影響を与えていることは事実である。筆者は記録的暴風雨となった2019年の台風15号の際に、近所の創価学会の支部が避難場所として、いち早く開放したことを確認している。一方で周囲の寺院が何らかの動きをしたことは確認できなかった。様々な問題を内包しつつも、新興仏教のフットワークの軽さは評価されるべきだろう。

社会参加については最も精力的な活動を行っているのはキリスト教である。救世軍の炊き出しは年末の風物詩となっているし、路上生活者などが多く居住する大阪の釜ヶ崎には多くのキリスト教系の支援団体が施設を構えそれぞれが支援を行っている。こうした活動と比較して、日本のいわゆる伝統仏教はかなり影が薄いと言わざるをえない。


大仏建立や悲田院・施薬院設置の目的は社会貢献だった

中外日報の記事は四天王寺悲田院が困窮者に手を差し伸べ受け入れたことに触れて結んでいる。悲田院とは聖徳太子(574〜622)が四天王寺に設置したと伝えられる、身寄りのない貧窮の病人や孤児などのための救護・収容施設のことである。また、施薬・治療施設である施薬院も同時に設置されたとされる。

記録上では、聖武天皇(701〜756)の皇后である光明皇后(701〜760)が、723年に奈良の興福寺に設置したのが始まりとされ、その後もいくつかの寺院に設けられた。「悲田」とは慈悲の心で哀れむべき貧窮病者などに施せば福を生み出す田となるという意味である。光明皇后は自らの手でらい病患者の膿を取ったという。これが史実かどうかはともかく、仏教の慈悲の思想が表されているといえる。

一方、光明皇后の夫である聖武天皇は東大寺の大仏建立を発願したことで知られる。大仏建立の理由は諸説あるが、疫病の流行が大きかったようである。737年、光明皇后の兄である藤原四兄弟全員が疫病によって死亡、役所も閉鎖する事態に陥っている。貴族たちがそうであるから庶民の罹病者が多数にのぼったことは想像に固くない。大仏建立についてはしばしば貴族の自己満足的な思いつきであるとして、建設に携わった民衆の視点からの批判的な指摘がされるが、失業対策のための公共事業であったという指摘もあり一概には言えない(エジプトのピラミッドにも同様の説がある)。大仏そのものは華厳経における宇宙の真理を具現化した「大毘廬舎那仏」の姿であり、仏の慈悲の光があまねく世間を照らすよう願われたものであることは間違いないと思われる。

光明皇后も聖武天皇も共に社会事業に積極的だったことは確かで、その背景には仏教の慈悲の思想があった。日本において仏教は人里離れた深山幽谷で瞑想三昧するものではなく、社会と共にあったのである。


葬式仏教という地位が確立されるまでの経緯

本来、日本の伝統仏教は国家安寧を祈るために招来されたもので、社会とは切り離せない存在だった。中世になると浄土宗開祖・法然(1133〜1212)がより民衆に近い距離から、簡潔な救いの教えを説くようになる。その後に続く鎌倉時代の諸派は穢れとされた死体の供養を積極的に行い「葬式仏教」の基礎となっていった。そして江戸時代になると檀家制度により、葬儀を中心に様々な行事、慣習など民衆の生活の至るところに浸透していく。伝統仏教は社会参加に消極的どころか、地域に根ざし、社会と共に歩んできた歴史を持つのである。それにも関わらず、今や社会参加において新興仏教やキリスト教の後塵を拝しているのは、その葬式仏教の地位に甘んじているからだと思われる。檀家とはつまり顧客である。顧客との手堅く狭い関係に満足していた伝統仏教は社会全体に向ける意識が弱くなってしまった。昔ながらの地域社会の形が変化し、個人主義へ移行しつつある現代の流れからは明らかに置いていかれていると思われる。


仏教の社会貢献 そのものの是非も問われている

一方で「社会参加仏教」に疑問を呈している人もいる。南直哉(曹洞宗)は、社会活動自体は否定しないとした上で、仏教とは人間の根源的な迷いに応え悟りに導くものであり、仏教者は社会活動をするべきなのだと単純に考えることに懸念を示す。

南師は農地開墾、貧民救済など、社会活動仏教の嚆矢と言ってよい行基(668〜749)に対して「立派な仏教者」と言う必要はなく「立派な人」でよいと述べている。(南直哉・来住英俊「禅と福音: 仏教とキリスト教の対話」春秋社(2016)

つまり社会活動における伝統仏教の意味とは何かということを立ち止まって考えなければいけない。世の中には様々な支援活動やボランティア活動が行われている。炊き出しをするだけなら仏教の看板は必要なく、シンプルに善意を持った有志が集まって行えばよい。長い社会活動の歴史を持つキリスト教、現世利益を前面に出す新興仏教らに比べて、伝統仏教は提供できる独自性が見えてこないのが現状である。


模索する伝統仏教

伝統仏教が葬式仏教として檀家と作り上げてきた世界から社会全体へ打って出る必要はあるのか。あるとすればその独自性とは何か。葬式仏教の確立は他者への慈悲の心であり、社会との結びつきにあった。それが現代では単なる僧侶の生活の手段になってしまっている。エンゲージド・ブディズムの潮流は、伝統仏教が葬式仏教本来の精神に立ち返るいい機会といえるのである。


ライター 渡邉 昇

記事掲載日:2020/06/02

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