現在、「芸能」という言葉には、大きく分けて、2つのイメージがある。1つは、日本で言えば、「能」「歌舞伎」など、長い歴史と伝統を有する「型」に則り、今日に至っても、それらが正確な形で継承されているもの。それゆえに「厳格」かつ「保守的」なもの。そしてもう一方は、「芸能人」のように、映画・演劇・テレビなどのタレント、俳優や女優、歌手やアイドルなどのことである。
現在の芸能とは異なる芸能を行う人達がかつて存在した
彼らが「売れている」「売れていない」、「人気がある」「人気がない」などの状況は、実に不安定だ。地道な努力や苦労、堅実さによって頂点を極め、それを終生維持できる場合もあれば、そうでない時もある。また、辛い「下積み」の有無にかかわらず、時代の空気によって、あるひとりの「芸能人」が突然もてはやされてしまったり、逆に、急に落ちぶれてしまったりすることもある。こうしたことから、「芸能」に携わることは「地に足がついていない」だとか、「虚業」と見なされ、蔑視の対象でもある。しかし、記紀神話時代の日本においては、先の2つのイメージとはまた違う、「芸能」または「芸能を行う人」の立ち位置や役割が存在した。
それは「遊部(あそびべ)」とよばれる葬送儀礼に従事する人たちだった
それは「遊部(あそびべ)」だ。彼らは「殯(もがり)」と呼ばれる、主に天皇や皇族、または高位の貴族たちを対象とした古代の葬送儀礼において、棺や祭器などを整えたり、「殯宮(もがりのみや)」または「殯屋(もがりや)」と呼ばれた、殯を執り行う特別な建物または場所において、自ら刀や戈(ほこ。両刃の剣に長い柄をつけた武器)を帯して呪術的な神事を行ったり、参列者に酒食を供したり、死者の魂を鎮めるための歌舞奏楽を行ったりしたとされる。
かつて天皇の葬送儀礼は長期間行われいてた可能性が高い
しかも当時においては、人が亡くなった後、直ちにその遺体を土中に埋めることはなかったことから、かなり長い間、殯宮の中に遺体を安置し、そこで様々な儀礼が行われた。この「かなり長い間」というのがどのくらいの長さだったのかは、当時の政治・社会状況によって異なっていたと考えられる。例えば天武天皇(?〜686)の場合は、686(朱鳥元)年9月9日に崩御したが、2年2ヶ月後の688(持統2)年11月11日に、現在の奈良県高市郡明日香村とされる大内陵(おおうちのみささぎ)に葬られた。
それより更に時代を遡った、記紀神話に登場する伝説的人物・天若日子(あめのわかひこ、生没年不明)の場合は、「日八日夜八夜」と記されていることから、天武天皇ほど長期に渡らなかったようだ。その間、「遊びき」、「啼(むせ)び哭(な)き悲(かなし)び歌(しの)ぶ」という記載があることから、天若日子の殯において、6世紀半ばの仏教伝来前後までに整えられた殯の諸儀式に見られるような以下のの祖型が見られる。
(1)発哭・発哀・慟哭(泣いたり、哀悼の言葉を発したりして、故人を失った悲しみを表出する)
(2)誄(しのびごと。故人の過去の功績を称える)
(3)奠(てん/でん。神に酒食を供える)、嘗(なふらい。新しく採れた穀物を神に供える)、花縵(はなかつら。花を飾る)などの、お供えを行う
(4)歌舞音曲
葬送儀礼とは一見無縁な「遊部」の「遊」という文字が使われた理由
そもそも「遊部」の「遊び」だが、我々が考える「遊び」、そしてそこから派生する「陽気に歌い踊る」「騒ぐ」「自由放埒に振る舞う」…などとは異なる意味合いだったと考えられるが、一体、何をもって「遊び」だったのか。
今日でもそうだが、「芸能」そのものが、日常生活とは全く異なる「非日常性」を人前で演じる、特殊・特別な存在であったことから、「遊び」と称したのか。英語のplay the guitarのように、「ギターで遊ぶ」ではなく、「ギターを演奏する」と言い表す際に用いる、いわゆる慣用表現だったのか。または、殯の場において、死んで間もないがゆえに、まだ、死者の国に旅立っておらず、生者との境界線に在る死者の魂と「交歓」することや、死者の魂そのものを自らに憑依させ、参列者の前でその様子を「見せる」「演じる」…など、常人が持ち得ない神秘的な力によって、特殊な行為を行うことを意味するものだったのか。いずれにせよ、「遊び」、そして「遊部」は、今日の「芸能」または「芸能人」よりも、「政治」や「権力」に極めて近い行為であり、そして、それをなす特権的な人々だったことは間違いないだろう。
歌ったり踊ったりすることは良いことである
「遊部」や「芸能人」に限らず、「歌うこと」そのものは、我々の健康には、とても有益だという。カラオケ業界最大手の株式会社第一興商と共同で、60歳以上の高齢者を対象に、カラオケによるストレス軽減効果を調べた、鶴見大学歯学部の斎藤一郎教授によると、カラオケを3曲歌った後で、唾液の量と、唾液に含まれるコルチゾールというホルモン含有量、気分の変化を観察した際、唾液の量が増え、コルチゾールの量が減り、気分が明るくなって「緊張」や「抑うつ」が改善されたことが判明した。
歌うことが健康にいい科学的な理由とは
何故唾液が増えたかというと、声を発する際に、普段では使わない口の周りの筋肉を使ったこと。そして歌うことで、副交感神経が優位になったことが考えられる。唾液の量が少なくなると、抗菌作用が損なわれ、虫歯や歯周病のリスクが高くなったり、場合によっては、胃を痛めやすくなったりもするだけに、唾液の量が増えることは、健康にとてもいい結果をもたらすのだ。
そしてコルチゾールというホルモンは、「ストレスホルモン」と言われ、本来、体をストレスから守るために分泌されるのだが、ストレスが強い状況下にあり、コルチゾールが分泌され続けると、副腎に負担がかかり、免疫力が下がる。また、眠りを促進させるセロトニンやメラトニンなどのホルモン分泌も抑制され、不眠となる。更にコルチゾールには、インスリンの働きを弱める作用もあり、血糖値を上昇させてしまうのだ。コルチゾールの量が減ったということは、ストレスとは無縁の、リラックスした気分がもたらされることをも意味している。しかもこれは、歌が上手に歌えた人だけではなく、うまく歌えなかったと思った人にも、同様の結果が出たという。
遊部による歌や舞い、楽器演奏には鎮魂の効果があったのかもしれない
こうしたことから、殯において遊部が行ったとされる、呪術的な儀式や歌や舞い、楽器の演奏などは、どのような音色や歌詞だったのかはわからないものの、恐らく、大切な人を失った悲しみや衝撃、または様々な「政治的な駆け引き」「勢力争い」などで心身共にこわばった状態の参列者の気持ちを和らげ、それによって、亡くなった人の魂をも癒し、黄泉の国につつがなく旅立たせることに大いに役立ったのではないだろうか。それゆえ、「遊部」による一連の「遊び」が、当時の人々には、死者との「交歓」や、死者の魂を「憑依」させているように、「見えた」かも知れない。
現在でも葬儀に歌や音楽は用いられているが…
今日ではそれこそ「芸能人」に限らず、昔の伝統やしきたりに縛られない、自由な形の葬儀を行う人々が少なくない。その中でも、出棺の際などに、生前、故人が好きだった歌や、メロディーだけの映画音楽、または故人が生前歌った「十八番」を流し、お見送りをする「音楽葬」などがよく知られている。しかしそれでもまだ、「厳粛な空気」「みんなうつむいて暗い雰囲気」「声を押し殺して嗚咽する遺族たち」というのが、日本のお葬式の一般的なありようだ。しかし、先に紹介した「カラオケの健康面での効果」ではないが、みんなで歌を合唱する必要はないとはいえ、「歌」に癒され、参列者が「明るい気持ち」となって、死んで欲しくなかった人、別れたくなかった人を悼みながら、天国にお見送りしてもいいのではないか。
現代でも遊部が行ったような葬送儀礼があってもいい
昨今は、「コロナ自粛」が昂じ、「自粛警察」などと、「正義感」「苛立ち」「攻撃心」で人々の心は、ささくれ立ち、爆発寸前の状況だからだ。せめて「人生の締めくくり」「集大成」でもあるお葬式だけでも、温故知新ではないが、古代の殯における「遊部」のことを思い出してもいいのではないか。
参考資料
■守谷毅「序論Ⅰ 芸能とは何か」藝能史研究會(編)『日本芸能史 1 原始・古代』1981/1996年(19−72頁)財団法人法政大学出版局
■村井康彦「序論Ⅱ 芸能史の観点 2.時期区分論」藝能史研究會(編)『日本芸能史 1 原始・古代』1981/1996年(87−102頁)財団法人法政大学出版局
■新谷尚紀「博士論文:死・葬送・墓制をめぐる民俗学的研究」1998年 慶應義塾大学
■伊藤和弘「“歌って気分スッキリ”の科学的根拠とは? 歌が嫌いな人でもストレス解消の効果あり」『日経ビジネス電子版』2016年10月22日