大分県日田(ひた)市の大原(おおはら)八幡宮に、2ヶ月ぐらい前から、オスのオシドリが1羽、住みついているという。オシドリに限らず、一般に野生の生きものは人にあまり馴れないものだが、このオシドリの場合、普段は境内の池にいるものの、参拝客を見かけると、後をついてきたり、手を出すとクチバシでつついてきたりするなど、とても愛らしい様子を見せている。そうしたことから、「コロナ退治にやってきた、神の使いかも?」という声も上がったりするなど、神社を訪れる人々の心を和ませているという。
国内外で数多く残る白鳥伝説
オシドリとは違うが、鳥の中で、渡り鳥や、クラシックバレエで有名なスワンのことだけではなく、白鶴、白鷺(さぎ)などの大きな白い鳥も「白鳥(しらとり)」と総称され、しかも「白」という色そのものが崇高さや純潔さを表すものであることから、神聖視されてきた。それゆえ、日本国内のみならず世界中に多くの白鳥伝説が存在する。
白鳥と化したヤマトタケルの終焉は最も有名な伝説の一つ
日本における「白鳥伝説」で最も有名なもののひとつは、記紀神話に登場するヤマトタケル(?〜113年)の終焉にまつわるものだ。愛知県名古屋市熱田区にある「白鳥古墳(御陵)」は、近在の熱田(あつた)神宮社伝によると、伊勢國能褒野(のぼの、現・三重県亀山市)で亡くなったヤマトタケルが白鳥と化し、ここに舞い降りた。そこで彼の遺品である剣鉾(けんほこ)などを葬ったと伝えている。
そして外国の伝説には、例えばスイスには、日本のような大きな鳥ではなく、鳩にまつわるものがある。
スイスに伝わる白鳥伝説とは
ある母親に、兄と妹の2人の子どもがいた。母親は2人に、森へ行って薪を取ってくるように命じる。そして、早く帰ってきた方に、赤いきれいなりんごをあげると言う。
2人は連れ立って森に行った。そこで兄は妹を木に縛りつけ、急いで薪を集めた。集め終わった後に妹を開放したが、兄は急いで家に戻った。
家で待っていた母親は兄に、「りんごは木箱の中にあるから、自分でお取り」と言った。その言葉通り、兄は木箱を覗き込むようにして、りんごを取ろうとした。その瞬間、母親は箱の蓋を勢いよく閉めた。兄の首が切り落とされてしまった。
それから妹が家に戻り、兄のことを聞いた。母親は、「全然見ていないよ」と答えた。しかし実は、兄は大鍋に入れられ、料理されていたのだ。それを知らない妹に、母親は火を焚きつけるように言った。火勢が強くなったとき、鍋の中から、「妹よ、火を弱めておくれ。小指がとても痛いんだ」と声がした。
驚いた妹は母親のところに駆けつけ、そのことを話した。しかし母親は取り合わず、鍋のそばに戻るように言った。
すると今度は、「妹よ、火を弱めておくれ。足の指がとても痛いんだ」という声がする。
また妹は母親にそれを告げたが、母親は妹を叱りつけ、再び、鍋のそばに追い返した。
程なくして料理が出来上がり、母親と妹はそれを食べた。その後母親は、鉢いっぱいに料理を盛りつけ、外で仕事をしている父親のところへ持っていくように命じた。
妹は料理を持って、外へ出た。大きな川のそばに来たものの、その川には橋がかかっていなかった。すると突然、聖母マリアが現れ、何を持っているのか、妹に尋ねた。妹は、中のものを見せることはできないと答えた。
聖母は「中身を見せてくれたら、川を渡るのを手伝ってあげる」と言った。妹は料理を包んでいた布を広げた。聖母はその布を川に投げた。すると、リボンのような橋がかかった。妹は足を濡らすことなく、向こう岸に渡ることができた。
それから聖母は妹に、「お父さんが肉を食べ終わったら、骨を空中に投げるように言うんですよ。もう落ちてこないほど、高く投げるんですよ」と言った。
妹は父親に会ってから、聖母の言葉を伝えた。父親は妹の言った通り、骨を投げた。1回、2回…3回目には、もう骨は落ちてこなかった。
ちょうどその頃、家にいた母親は、兄の遺体が入った木箱を開けた。すると白い鳩が飛び出し、遠くの空へ飛んで行った…。
この白鳥伝説からなにを学ぶか
キリスト教国らしい伝説と言えるが、妹を手助けした聖母マリアとは真逆の、どう考えても怪しい母親の去就が気になるところである。母親の言いつけを素直に守りつつも、ご褒美のりんごに心を奪われ、妹を木に縛りつけた兄は、その罰を受けるように、非情な形で命を奪われる。一方、自分を木に縛りつけて、りんごを独り占めしようとした兄に対して、恨みの気持ちを持たず、助けを求めるたびに、母親に正直に告げる妹だったからこそ、聖母が助けたのだろう。また、母親はやましさを覚えたのか、開けなくてもよかった木箱を開けたとたん、兄が純潔や崇高さの象徴である白い鳩に生まれ変わり、今で言う「毒親」から「解放」されるかのように、天高く飛び去って行った。そこに救いがある伝説と言える。
最後に…
鳥といえば、多くの鳥には翼がある。それゆえ、いつでもどこでも、好きなところに飛び立って行ける。太陽の光を一心に浴びながら、のびのびと天高く舞い上がることができることから、鳥はまた、自由の象徴とも見なされてきた。
また、ジャンボジェット機、そして昨今多く使われるようになってきたドローンなどの無人航空機ではないが、我々人間は長年、鳥のように翼を持たない自身を、科学技術で補完してきた。未来にはいずれ、それを身に着けることで、誰しもが「鳥」になれる、高機能の人工翼を有するジェットシステムが開発されるかも知れない。
しかし、白鳥となったヤマトタケルや、白鳩となった兄のように、「立つ鳥跡を濁さず」ではないが、新型コロナウィルスが完全に終息した後、どこか遠くに自由に旅立つ時ばかりでなく、「まだまだそれより先」の自分の人生そのもののしまい支度もきれいにしておきたいものである。
参考資料
■花部英雄「白鳥伝説」福田アジオ・新谷尚紀・湯川洋司・神田より子・中込睦子・渡邊欣雄(編)『日本民俗大辞典 上』1999年(870頁)吉川弘文館
■橋本嘉那子「白いハトがとびさった」日本民話の会・外国民話研究会(編・訳)『世界の鳥の民話』2004年(123-125頁)三弥井書店
■「【動画あり】オシドリ、心癒す日田市の大原八幡宮」『西日本新聞』2020年4月21日
■「神の使い?迷い鳥?日田市の大原八幡宮に雄のオシドリ1羽」『大分合同新聞 プレミアムオンラインGate』2020年4月21日