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数あるお地蔵様の中でも特にありがたいのは「傷つけられたお地蔵様」

新型コロナウィルスの感染拡大に伴う、日本全国を対象とした緊急事態宣言による自粛・休業要請が4月16日に発表された。経済の停滞や生活不安などによる閉塞感や不安感が今の日本全体を覆う中、岐阜県岐阜市の路上で、81歳のホームレス男性が未成年の大学生ら5人から、投石などの襲撃を受け、脳挫傷と急性硬膜下血腫によって亡くなるという、実に痛ましい事件が報じられた。


自己犠牲や利他心を忘れさせない「傷つけられているお地蔵様」がいる

この事件に限らず、「自分には何の非もない」にもかかわらず、理不尽な形で誰かから痛めつけられた末に亡くなったり、命を奪われるほどのことにはならなくとも、心と体に深い傷を負わされたりするということは、悲しいことだが、人間社会では枚挙にいとまがない。

しかし日本には、人に理不尽に痛めつけられても、その痛めつけた人を見守り、時に願いを叶えてくれることさえある、実にありがたい存在がある。それは、日本国内に数限りなく存在しているお地蔵様の中でも、「傷つけられている」ような格好で祀られているお地蔵様だ。


例えば戸越6丁目の「子育て地蔵」はかつて「首なし地蔵」と呼ばれていた

例えば、東京・品川区の戸越6丁目の路傍に立つ、赤いよだれ掛けをかけた「子育て地蔵」だ。一見、どこにでもある、道路脇の小さな御堂に納められたお地蔵様だが、かつては「首なし地蔵」と呼ばれていた。もともとは今とは別の場所に、江戸末期頃に立てられていたというが、かつては人が願掛けをする際に、「ありがたい」「聖なるもの」、または「万一傷つけたりしようものなら、祟りがある」かも知れないはずの首や胴体などを突き倒したり、田んぼのあぜ道に転がしたりしていた。そして願い事が叶うと、お地蔵様の胴体を起こし、首を元に戻しておくのが習わしだった。しかし大正末期頃、いつの間にかお地蔵様の首がなくなってしまった。それを不憫に思った目黒のある植木職人が、別のお地蔵様の首をつけた。その後、願掛けのために、お地蔵様の首や胴体を突き倒したりすることはなくなり、「子授け」にご利益があるということで、「子育て地蔵」と呼び名も改められ、現在に至るまで地域の人々の崇敬を集めている。


例えば北九州市若松区の高塔山山頂にある背中に釘が刺さっている「かっぱ封じの地蔵尊」もその一つ

そしてもう一体は、作家・火野葦平(1907〜1960)が『石と釘』(1940年)のラストに、「私は高塔山(たかとうやま)に登り、その頂上の石の地蔵尊の背にある一本のさびた釘に手をふれる時には、奇妙なうそざむさを常におぼえるのである」と記した、福岡県北九州市若松区・高塔山山頂のお堂に安置された「かっぱ封じの地蔵尊」こと、実は虚空蔵(こくうぞう)菩薩像だ。高さは最初に紹介した品川区戸越の「子育て地蔵」とさほど変わらない1メートルほどで、正面からは見えないが、背中に太い釘が1本、刺さっているのだ。

「かっぱ」とは言うまでもなく「河童」のことだが、河川の淵、沼地などをすみかとし、人畜を溺れさせるなどの害を及ぼしたり、逆に滑稽なことを言ったりやったりするとされる、人と魚、カエルとも海獣ともつかない、日本人にとっては「国民的」とも言えるメジャーな妖怪だ。

明治・大正期の修多羅(すたら)村(現・北九州市若松区の東部)に伝わっていたという伝説によると、1匹の河童が庄屋の馬を池に引きずり込もうとしていたが、逆に庄屋に捕まえられた。庄屋は河童を許したが、高塔山の地蔵の背中に釘を打っておくから、その釘のある間は絶対にいたずらをするな、と約束させた。それ以来、河童のいたずらは止み、修多羅村で水死する者もいなくなったという。


「かっぱ封じの地蔵尊」を元にかかれた火野葦平著の『石と釘』とは

これは日本全国に伝わる、河童が馬を水中に引き込もうとする「河童駒引(こまひき)伝説」の典型的なものと、釘で背中を打たれたお地蔵様の建立譚とが混じり合ったものだ。火野はそれを元に、臨場感あふれる短編小説、『石と釘』を書いた。

河童を封じる「庄屋」を、若松から見て南に位置する一大山岳霊場・英彦山(ひこさん)で修行したと思しい山伏、「堂丸総学(どうまるそうがく)」とし、しかも伝説のように河童はたった1匹ではなく、福岡県南部の筑後川を拠点とする河童軍と、地元・修多羅の河童軍とが空中で縄張り争いのための戦いを繰り返しているほど、大勢だ。その結果、馬を池に引きずり込むこと以上に、人間に多大な迷惑をかけていた。更に河童たちは一旦戦いを休止し、自分たちを法力で地中に封じるべく、祈祷をしていた堂丸総学に様々な激しい妨害を仕掛ける。そして彼が地蔵の背中に釘を打つのにも、大変な苦労を要した。河童たちに爪を立てられたり、肉をついばまれたりなどして、血まみれ、傷だらけになりながらも、ひたすら経文を唱え、釘を半分打ったところで、力尽きて亡くなってしまったのだ。それと同時に、河童たちは地蔵のまわりにはらはらと木の葉のように落ち倒れ、青いどろどろの液体となって、溶け流れていった。河童たちにとっても、堂丸総学にとっても、まさに死闘だった…。

「伝説」であることから、話が「単純化」「簡素化」されてしまっていることは否めないが、前近代の農耕社会においては貴重な労働力であった馬が河童によって犠牲になることを調伏するため、今以上に、仏教への信心や仏様への畏れが、日本中の全階層において絶対的に強かった当時において、馬の犠牲をこれ以上出さないことは重要なこととはいえ、本来は大切に崇め奉るべき「虚空蔵菩薩像」の背中に太い釘を打ちつけることとの「バランス」を考えると、河童軍と堂丸総学との激しい戦闘が繰り返される、火野の一連の創作の方が「現実味」があると思えなくもない。


お地蔵様とは私達にとってどんな存在か

そもそも「お地蔵様」こと地蔵菩薩とは何だろうか。「仏様」ではあるのだが、剃髪した普通の「お坊さん」のような穏やかな顔立ちであること。そして多くの「お地蔵様」が、現世の人間に「願い事を叶えてくれる」などの利益を与えてくれると信じられてきたことから、他の諸仏よりも親しみをもって愛されている。

仏教上の地蔵菩薩とは、釈迦入滅後、弥勒菩薩が出現するまでの2億7000万年という、恐ろしく長い無仏時代において、全ての衆生を救済する役割を果たしている。しかも人間界から遠く離れた極楽浄土に在る菩薩ではなく、その慈悲深さゆえに、地獄において罪人と共に在り、更に罪人に課せられた苦しみを、その代わりに引き受ける「代受苦」の功徳を有するとされている。


自らを犠牲にしてご利益を叶えるお地蔵様

こうした地蔵菩薩は、唐代の中国において成立し、日本には平安時代にもたらされた。しかも当初は、栄耀栄華を誇っていた藤原一門に対抗できない下級貴族層に受容されていた。その後「念仏聖(ひじり)」こと、空也上人(903〜972)らによる庶民層への仏教伝播と共に、幼くして亡くなった哀れな子どもたちが墜ちるとされる賽の河原で石を積む、「一重積んでは父上と、花をたむけて伏し拝み 二重積んでは母様と 水を手向けて手を合わす…」で知られる『賽(さい)の河原 地蔵和讃』が広がった。そこで詠まれる地蔵菩薩とは、せっかく苦労して積み上げた石を棒で壊し、暴言を吐くなどといった、理不尽ないじめを行う地獄の鬼に傷ついた子どもたちを慰め、救い、守る存在だったのだ。そして時を経て、町民文化が花開いた江戸時代になると、延命・身代わり・子授け・心願成就など、様々な現世利益を叶えるものととらえられるようになり、今に至っている。

お地蔵様の自己犠牲的なありようは、仏教の「捨身飼虎(しゃしんしこ)」に通じるものがある。これは『十二部経』のひとつである、お釈迦様の過去生を説いた『ジャータカ(本生譚)』に登場する、飢えた虎に食として、我が身を投げて施したという薩埵(さった)太子の「死に様」を説いたものだ。とはいえそれは、「お釈迦様」だからできることであって、我々のような凡庸な人間に、お釈迦様と同じ姿勢を求めるのは、あまりにも酷な話である。


2019年12月に福岡で起こったある学生の親切

去年の12月6日の朝8時20分頃、福岡県北部の直方(のおがた)と田川伊田(いた)を結ぶ、平成筑豊鉄道伊田線の列車内で体調を崩した女性が、その場で吐いてしまった。たまたま近くに居合わせた、当時高校3年生だった毛利佑弥さんは、冬の最中で、しかもその日の午前中には期末試験があったにもかかわらず、とっさに着ていたシャツを脱ぎ、汚れた床をふいた。その行為によって、電車の遅延が最小限に抑えられたことから、毛利さんは平成筑豊鉄道から感謝状を受け取った。毛利さん曰く、「小学校高学年のころ、自転車で転んだのだが、見知らぬ男性が傷を拭いてくれて格好よかった。気づいたら脱いでいて、拭くしかないと思った」という。

自分をいじめる人間のために、結果的に自分の命を差し出す羽目になったり、願いを叶えてもらいたい人のために、首や田んぼの畦道を突き転がされたり、悪さをする河童を鎮めるために、背中に太い釘を打たれるようなことはできなくとも、毛利さんが行ったようなささやかな「捨身飼虎」はやろうと思えば、誰にもできるのではないか。「外出自粛」を無視して「自分は大丈夫だから」と、あちこち出かける人。そして「自粛していないお店」を見つけては、それを弾劾しようとする「自粛警察」…何とも息苦しい昨今だからこそ、そう思わずにはいられない。


参考資料

■品川区(編)『品川区史 通史編 上巻』1973年 品川区
■玉井政雄『かっぱ封じの地蔵尊 −北九州の伝説と史話−』1976年 ナガリ書房
■品川区教育委員会(編)『品川の歴史』1979年 品川区教育委員会
■火野葦平『石と釘』(1940年)石川達三・火野葦平『現代日本文學大系 75 石川達三・火野葦平集』1972/1981年(275-277頁) 筑摩書房
■品川区教育委員会(編)『品川区資料 (二) 庚申塔・念仏供養塔・回国供養塔・馬頭観音供養塔・地蔵供養塔・道標』1983年 品川区教育委員会
■新井慧誉「地蔵菩薩」小野泰博(編)『日本宗教事典』1985年(329-332頁)弘文堂
■宮田登・岩井宏實「地蔵信仰の諸相」辻惟雄(編)『図説 日本の仏教 5 庶民仏教』1990年(288-292頁)新潮社
■石川純一郎「河童」福田アジオ・新谷尚紀・湯川洋司・神田より子・中込睦子・渡邊欣雄(編)『日本民俗大辞典 上』1999年(370-371頁)吉川弘文館
■品川区教育委員会(編)『しながわの史跡めぐり』1988/1997/2005年 品川区教育委員会
■石川純一郎「地蔵信仰」新谷尚紀・関沢まゆみ(編)『民俗小事典 死と葬送』2005年(367-368頁)吉川弘文館
■唐澤富太郎『図説 明治百年の児童史 <下>』2010年 株式会社日本図書センター
■「北九州市メモリアルストーリー vol. 22:不思議な背中の釘〜高塔山のかっぱ地蔵物語」『北九州市 時と風の博物館』2013年8月30日
■君野隆久『捨身の仏教 日本における菩薩本生譚』2019年 角川書店
■「乗客の嘔吐物シャツ脱ぎ拭く 男子校生「当然のこと」鉄道が感謝状」『西日本新聞』2019年12月24日
■「ホームレス男性殺害、容疑の大学生ら少年5人逮捕」『岐阜新聞Web』2020年4月24日
■「「自粛警察」という名の嫌がらせ悪質行為を許すな!驚くべき奴らの手口を見よ 罵詈雑言を残すために街を徘徊する者たち」『ニコニコニュース』2020年4月30日
■「河童封じ地蔵」『日本伝承大鑑』
■「若松中心地区の観光」『北九州市』
■「捨身供養 しゃしんくよう」『Web版 新纂浄土宗大辞典』


ライター 鳥飼かおる
銅製 地蔵菩薩 3,190,000円

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