暖冬の影響から、東京では例年より12日早く、全国最速の3月22日に桜が満開になった。とはいえ、コロナウイルスの影響から、例えば東京の桜の名所・上野公園では、「宴会禁止」。花見客が押しかけることによる大混雑、そして大量のゴミやマナーが問題になってもいた毎年春の風物詩は、例年に比べ、いくらか静かな状況だ。
日本では長らく、桜の開花を心待ちにし、花見や宴会、昨今では桜の下で写真や動画を撮って、SNSにアップロードすることを楽しんできた。しかし、そうした人々の中に、散った後の桜の花びらの1枚1枚に心を寄せる人は、果たしてどれだけいるだろうか。
童話作家・浜田広介と花びらのたび
『むく鳥の夢』(1919年)、『りゅうの目のなみだ』(1923年)、『泣いた赤おに』(1933年)など、主に昭和の子どもたちに長らく親しまれてきた童話作家・浜田広介(ひろすけ、1893〜1973)の作品に、『花びらのたび』(1919年)がある。「花びら」とは桜の花びらのことで、「旅」とは、花の命を終えるまでの道筋を描いたものだ。1枚の桜の花びらがいつの間にか枝から散り落ちた後、ちょうちょになったつもりになって、空を舞い飛んでいた。そこへ3羽の子すずめが飛んできて、そのうちの1羽が花びらを口にくわえる。花びらは子すずめと旅を続ける。更に川に流された花びらは、そこで出会った魚たちに、今までの旅を語って聞かせる。当初は薄もも色で傷ひとつなかったのに、花びらはいつしか色あせ、傷だらけになっている。最後に花びらは魚たちに別れの挨拶を告げ、太陽があかあかと燃える海原へ旅立っていくところで話は終わる。
花や草、昆虫などを愛した浜田広介
ひらがなが多く、詳細な情景描写がなされていないにもかかわらず、花びらの一連の旅の様子や、子すずめや魚たちの個性も明快だ。浜田の次男・滋郎によると、浜田は日頃、バッタ、チョウ、ハチ、クモなどの多くの虫をよく眺めていたというが、そうした観察眼や虫たちへの愛情が、作品に活かされているのだろう。それゆえ、『花びらのたび』を読んでいると、頭の中に自分自身が花びらになって、うららかな春の空を旅し、そこで子すずめに出会い、川に流されてからは魚たちと出会い、最終的には、夕陽に向かって死に出の旅に向かっていくように思われる。浜田が生み出した、夢幻の世界に引き込まれてしまうのだ。
浜田広介に影響を与えたアンデルセン
それは浜田自身の天性の才能に加え、浜田はデンマークの童話作家で世界的に有名な、ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805〜1875)に強く影響を受けたこと。そしてそれを「西洋かぶれ」になることなく、浜田が生まれ育った山形を含む日本の「北」に常に目を向けつつも、かつての日本のどこにでもあった農村を舞台に据え、作品世界を普遍的なものにしたこと。そして、人の持つ心の優しさ、それも人から認められたり称賛されたりすることだけを求めるのではなく、他人のために誰も知らないところでこっそりと尽くすことを浜田自身が願い、そして浜田自身が、自分以外の多くの人々の善意を信じていたことに尽きるだろう。
作家・森崎和江の場合
また、この作品で特徴的なのは、日本人が愛でてきた、桜が満開に咲き誇っていること、更にそれらが枝についたまま、枯れたり腐ったりすることなく、「美しいまま」潔く散ることのみに主眼が置かれていないことだ。
1950年代、石炭産業が没落に向かっていた筑豊において「サークル村」に属し、ノンフィクション作家として活動を続けている森崎和江(1927〜)は、「土」に対して独特な感覚を有している。それは、森崎は土が好きだだというのだが、何故好きかというと、植物を育て、動物を生かしているからではあるのだが、心の奥では、土が動植物の死体を腐らせてくれるからだと。それは、森崎の幼少期の生育環境に関わっている。かつての朝鮮、現在の韓国・大邱で生まれた森崎は、小学校3年生の頃、学校で細胞やたんぱく質やバクテリアのことを習ってから、台所仕事をしていた母親やお手伝いの娘さんが、野菜くずや食べ残しの魚などを庭の隅の穴に捨てているのを見ていると、何かほのぼのとあたたかなことのように、うれしい気分で眺め、土の優しさを実感していたからだ。
美しいものだけでなく醜いものまで描き出された花びらのたび
浜田や森崎は、今の日本人がほとんど考えることがない、場合によっては「汚い」「気持ち悪い」「見たくない」「考えたくない」と感じてしまう「土」を含む、時に厳しく残酷な側面を持つ自然の変容や働きに対して、深い愛着を有し、「きれいなこと」「汚いこと」を含めた自然全体を俯瞰するまなざしを有していた。もちろんそれは、浜田や森崎のような「文学者」に限らず、昔の日本人ならば、誰しもが有していた感覚だったのだ。
それゆえ浜田は、完全かつ無垢な「美しい」だけの桜を描くことをせず、傷だらけで色あせた桜の花びらの「美しさ」をも、幼い子どもの読み物である『花びらのたび』の中で「さりげなく」描き出しているのである。
そしてそれはまた生まれ変わっていく
浜田の「花びら」は、普通の花びら、すなわち、東京ならば、上野や目黒川沿いの桜の花びらや、森崎が記した、朝鮮の土に還った野菜くずや魚の食べ残しなどと同じ運命を辿ることなく、「たのしい たびを いたしました」ことから、海水に晒され、腐った後に海の土となり、海中の目に見えない小さな生き物を活かすものとなったことだろう。しかもそれが「面白い」のは、腐って「終わり」ではなく、「土になる」ことで、新たなみずみずしい命を育むための貴重な養分となることだ。
仏教的な要素も盛り込まれた花びらのたび
生前の浜田を知る小林正は、浜田の多くの作品について、「仏教的余韻をのこし、仏心のいわゆる広大無辺なる大慈大悲(だいじだいひ)の影を宿し、読むものにそこははかとなくほとけの雰囲気を感じさせるものがある」と指摘している。
確かに『花びらのたび』に内包された、動植物の命の循環は確かに、仏教で言う輪廻転生と似たものがある。そして沈みゆく太陽を目指して花びらが旅立つラストシーンは、浄土往生を連想させるものである。しかもそれらは不思議なことに、普段は忘却の彼方にあるものの、永きに渡り、日本人の心のどこかに受け継がれてきた「死生観」「極楽浄土への期待」に満ちてもいることがわかる。
愛するとはどういうことか
かつてとんちの一休さんこと一休宗純(1394〜1481)も、あらゆる事物の中で「一番いいもの」として、「花は桜木 人は武士 柱は桧 魚は鯛 小袖はもみじ 花はみよしの(奈良の吉野山のこと)」という言葉を残したという。それほどまでに日本では桜は愛されてきた。それゆえ、コロナウイルスを避けるため、濃厚接触の危険性がある宴会が自粛ムードの今だからこそ、桜を愛する人は、その「終わり」まで、見届けて欲しいものだ。
参考資料
■小林正『浜田広介おぼえがき』1985年 北郊書房
■森崎和江『大人の童話・死の話 (叢書 死の文化)』1989年 弘文堂
■向川幹雄「浜田広介」大阪国際児童文学館(編)『日本児童文学大事典 第2巻』1993年(81-83頁) 大日本図書
■浜田滋郎「父・浜田広介を語る」『児童文芸』2003年2・3月号 (16-19頁)日本児童文芸家協会
■大藤幹夫「浜田広介 『花びらの旅』」大藤幹夫・藤本芳則(編)『展望 日本の幼年童話』2005年(32-35頁)双文社出版
■浜田広介 『花びらの旅』大藤幹夫・藤本芳則(編)『展望 日本の幼年童話』2005年(36-41頁)双文社出版
■早川正信「浜田広介」日本近代文学会東北支部(編)『東北近代文学事典』2013年(429頁)勉誠出版
■「宴会自粛も、花見にぎわう 目立つマスク姿 −東京・上野」『時事ドットコムニュース』2020年3月21日
■「東京都心で桜満開 昨年より5日早く」『産経新聞』2020年3月22日
■『まほろば・童話の里 浜田広介記念館』