昨年末から現在に至るまで、新型コロナウィルスの脅威から、客足そのものはかなり落ち込んでしまったとはいえ、元々は「商売繁盛」「子宝祈願」「家内安全」「受験合格」…などのご利益があるとして多くの参詣者を集めていた寺社が、いつしか「観光ビジネス」「地域振興」などと結びつく形で「聖地」となり、「癒し」を求め、「スピリチュアル」な雰囲気を味わおうとする観光客が押しかけ、更には世界中の人々をも惹きつけるようになってきた。
人気の寺社で起こっているトラブル
そうした中、混雑やゴミ、騒音、撮影禁止の場所での撮影など、今まではあまり顕在化することがなかったマナーをめぐって、地元の人々とのトラブルまで発生する「オーバーツーリズム」の問題も発生している。
廃れた寺社で発生している窃盗などの犯罪
その一方で京都や奈良、または県庁所在地などではない、いわゆる田舎で、少子高齢化や過疎化が進んだ地域では、檀家や氏子(うじこ)も減って、それまでのように寺社を支えることが不可能になってきた。それゆえ、住職が不在の「無住寺(むじゅうじ)」や無人の神社が増え、それに伴う犯罪も発生している。例えば和歌山県においては、そうした寺に安置されている古い仏像を狙った窃盗が頻発し、過去10年間で262体も被害に遭ったという。
寺社は賑やかなほうがいいのか静かな方がいいのか
寺社に誰も訪れることがなく、寂れてしまっている方がいいのか、それとも、大量の人が押しかける方がいいのか、実に悩ましい問題である。そんな時、自分の生活圏からさほど遠くない場所にあることから、あまり気にすることもなかった地域のお寺を、迷惑にならないように、静かに散策してみるのはどうだろう。
東京都目黒区の祐天寺にある歯霊供養塔
例えば、1718(享保3)年に創建され、江戸幕府と深い縁があった東京都目黒区の祐天寺(ゆうてんじ)内の第一墓地には、「歯霊(しれい)供養塔」がある。全長205cmの仙台(せんだい)石でできたその石碑だが、題字は東京高等歯科医学校(現・東京医科歯科大学)の創立者で、当時の歯学界の重鎮だった島峯徹(1877〜1945)博士の手によるもので、1934(昭和9)年に渋谷で歯医者を開業していた酒井紋次郎(1895〜1946)氏によって立てられたものだ。その裏面には、以下の言葉が彫られている。
「昭和五年五月十日本院開業以来、昭和九年五月九日ニ至ル満四ケ年間ニ患者各位ノ抜去セル霊歯二千九百三十三本ノ歯霊ヲ茲ニ安置シ永ク其ノ霊ヲ供養ス尚今後毎年本院ノ開業記念日ニ歯霊供養ヲ取リ行フ」
この言葉を守り、そして我々の生活に日々欠かせない「歯」を「霊」ととらえ、80年以上たった今もなお、酒井病院では、歯の衛生週間中の6月10日に抜歯または抜けた歯の供養を行っている。
埼玉県大里郡寄居町の不動寺にある板碑
そして今度は、埼玉県大里郡寄居町(よりいまち)の南東部に位置する男衾(おぶすま)地区にあり、平安時代後期〜室町時代における「関東武士」を代表する武士団・武蔵七党のひとつである猪俣(いのまた)党に属していた旡動寺(ふどうじ)氏の居館跡と伝えられている不動寺(ふどうじ)の門前には、縦に並んだ格好の2基の板碑(いたび)がある。板碑とは主に鎌倉〜安土桃山時代において、供養のために建立された塔婆の一種のことだが、不動寺のものはいずれも、埼玉県の秩父地方で産出する緑泥片岩(りょくでいへんがん)製で、前面に大きく、供養の対象となる本尊を仏像または梵字の種子で表現した、典型的な「武蔵型板碑」である。
手前のものは、およそ156センチ、幅85センチ、厚さ7センチ。幸いなことに、碑には一切の欠けがない。現存するもので現在国内最古の板碑とされるものは、熊谷市須賀広(すがひろ)にある嘉禄3(1227)年のものだが、これは康元2年(1257)年に造立された、寄居町内では最古のものだ。正面に大きく阿弥陀一尊種子(しゅじ)が彫られている。その下にはうっすらとしか見えないが、蓮座が。更にその下には、花を挿した花瓶が一瓶、線刻されている。
一方、背後の板碑は頭部が欠け、全体的に摩耗し、彫られている本尊や文字が判読不能である。そのため、これがいつ造立されたものなのかはわからない。
だが、手前の板碑は、「武蔵型板碑」とは若干異なる特徴を有している。それは、通常のものは頭部を三角形に尖らせているだけなのだが、この板碑の場合、三角形の頭部の正面側全体を斜めに切り込むことで、板碑そのものが立体的に見えるような工夫が施されているのだ。それはとても珍しく、この板碑を含め、寄居町内ではたった4例しか見られないものだという。それゆえ、鎌倉時代後期に造立された「初期型」のこの板碑は、旡動寺氏など、有力な土地の武士によって、他のものとは違う「特別な仕様」が施された可能性が大きいと考えられている。
自分だけの大切な場所や空間を作る
昨今ではちょっとネットで調べると、即座に「おすすめ」「インスタ映え」する観光スポットを見つけることができる。そしてそれに「釣られる」ようにその場所に行き、自分もまた、SNSにアップロードしてしまうことが当たり前になってしまってさえいる。しかし、そればかりでなく、「地味だし〜」「すぐ近くだから、いつでも行けるし〜」などと、通り過ぎてしまっているような神社仏閣をあえてのぞいてみるのもいいのではないか。
そこで、仮に「面白いもの」を見つけたとしても、それをいちいち不特定多数の人々に向けて発信するのではなく、心の奥にそっとしまっておく。そうすることで、全てとは言わないが、ネットに限らず、自分が「縛られているもの」「囚われているもの」「気にしているもの」から解放され、ほんのわずかの間でも、「自由」になれるのではないか。
人はしょせん、いつかは必ず死ぬ。その「縛り」がある限り、人間を含む全てのいのちには「自由」がない。だからこそ、束の間の「自由」を大切にすることで、日々死に向かっている自分のいのちそのものを大切にすることにもつながるのだ。
参考資料
■寄居町教育委員会町史編さん室(編)『寄居町史 原始 古代 中世 資料編』1984年 寄居町教育委員会
■寄居町教育委員会町史編さん室(編)『寄居町史 通史編』1986年 寄居町教育委員会
■山本和夫『東京史跡ガイド 10 目黒区史跡散歩』1992年 学生社
■川勝政太郎「板碑」『日本仏教史辞典』1999/2002年(28頁)吉川弘文館
■祐天寺研究室(編)『祐天寺年表 5 戦争を乗り越えて』2017年 宗教法人祐天寺
■「抜去歯供養(歯霊祭)を行っています」『医療法人社団 紫雄会 酒井歯科』
■「祐天寺のご案内 縁起略」『明顕山 祐天寺』
■中島正伍「祐天寺歴史文化館 論説:歯霊供養塔 −第一墓地−(PDF)」
■岡本亮輔「日本で急速に進む「宗教の観光利用」の危うさに気づいていますか…「政教連携」なんていうけれど…」『現代ビジネス』2018年2月21日
「【特集】“闇に消えた”仏像たち ブームの裏で「無住寺」が狙われる…対策は?」『MBSニュース』2019年7月19日