11月中旬の土曜日、久し振りに横浜元町商店街と山手を歩いてみた。私は6年前まで8年間、石川町にある横浜家庭裁判所に非常勤で勤務していたので、時間が空いた時、近くの横浜中華街や元町商店街、山手の公園などを歩いたものだ。元町商店街を通り山手へ登っていくのだが、ここの坂はいつもフーフー言い、途中で一休みするほどのかなりきつい勾配で、いつもお年寄りが生活するのは大変だろうなと思う。
港の見える丘公園すぐそばの横浜山手外人墓地
山手の「港の見える丘公園」は港が一望でき、イギリス風のバラ園があり、大佛次郎記念館もあるお気に入りの公園だ。当日は穏やかな秋日和で、視界が広々と開けて雲一つない青い空と海、湾岸道路、真っ白なベイブリッジを見ると解放感にあふれ、心が晴れ晴れとしてくる。
すぐそばにある外人墓地は異国情緒に満ちていて、いつも横目に見ながら通り過ぎるだけだったが、土曜、日曜は一般公開しているので初めて入ってみた。
横浜山手外人墓地はどのように運営されているのか
墓地の山手口(正門)で募金箱に200円の募金を入れて、受付の女性に少し話を聞いたところ、この墓地は公益財団法人横浜外国人墓地が政府から無償で土地を借りて運営しているが、8割近くのお墓の後継者が判らず管理費を請求できないので、不足する墓地の維持管理運営費を補填するため土曜、日曜に限り一部を公開しているとのことである。ホームページでも収支計算書と貸借対照表が公開されており、収入は寄付金、募金、受取利息(低金利の時代に意外に多い)と墓地使用権・再使用で、人手はボランティアに依存しているようだ。
現在も新規で墓地利用を受け付けている
新規の墓地利用の受付もしており、2018年度は75万円の墓地使用権・新規が計上されているので、1区画(0.6㎡)の契約があったのだろう。埋葬者の国籍、宗教は問わないが、対象者は外国人又はその配偶者だけである。土葬も認められており土地は畳一畳の広さを必要とする。現在22区、5600坪の敷地に40か国以上の約5000人以上(墓石数は約3000基)が眠っており、稀に海外から遺族の墓参りもあるとのことだ。
28基のお墓の埋葬者の説明付きの順路案内図をもらい公開されている傾斜地の一段目と二段目を約30分かけて見て回った。この区画には明治初期の日本の近代化に貢献した人々が多く葬られていたが、名前を知っている人物は最初の外国出身落語家の快楽亭ブラックだけだった。古い十字架のお墓が多いが、中にわずかだが新しいお墓があり、そこはステンレスの花立にお花があり、お供えがあったりする。傾斜地の下のほうにはイスラム教徒のお墓もあるとのことだが、見ることはできなかった。
横浜山手外人墓地はどのような経緯でできたのか
1854年開国を求めて日本を再び訪れたペリー提督率いる黒船ミシシッピ号でロバート・ウィリアムズという水夫がマストから甲板に転落して死亡したので、ペリーは幕府に埋葬地の提供を求めて、日本側が用意したのが、増徳院というお寺の附属地でペリーの要求する海の見える場所であった。これが横浜山手の外人墓地の始まりである。
その後、横浜開港に伴い来日する外国人の数は次第に増加し、日本で死亡する人も増えてきた。このため増徳院の外国人埋葬地と日本人埋葬地の区別がつきにくくなり、1861年、外国人専用の墓域を定めるため日本人墓地が移転した。
1864年、横浜居留地覚え書が幕府とアメリカ、イギリス、フランス、オランダの各国公使との間で締結され墓域の拡張が認められた。1866年、横浜居留地改造及び競馬場墓地等約書が締結され、ほぼ現在の墓域まで拡張された。1879年神奈川県衛生委員会は墓地周辺に人家が接近し、伝染病死人の埋葬地がないことから、墓地の移転もしくは新墓地の開設を建議し、1902年根岸に新たに墓地を開設した。外人墓地は初めから無償無税で貸与され、墓地周囲の垣根などにいたるまで幕府や明治政府が負担していたが、明治維新後経費が増大したため1869年政府は外国側が負担とすることを決めた。1902年外国人はわが国の法規に従って公益法人を組織し自ら墓地を維持運営することとなり現在に到っている。横浜には山手、根岸の他に英連邦戦死者墓地と中華義荘の外人墓地がある。
横浜山手外人墓地にはどんな人が埋葬されているか
外人墓地に埋葬されている人々はいわゆる「お雇い外国人」と呼ばれる明治政府や私企業に雇用され、わが国の近代化に貢献した人々を始め外交官、宣教師、修道女、教育関係者、貿易商、実業家、芸術家、文化人、ジャーナリスト、攘夷を叫ぶ武士の刃に倒れた犠牲者たちである。
教育関係では山手にある女子校で御三家とも言われるキリスト教系のフェリス女学院、横浜雙葉学園、横浜共立学園の設立者がいずれもこの墓地に眠っている。又、大磯にある澤田美喜さんが設立した混血児のための施設、「エリザベス・サンダース・ホーム」の名前の由来となった三井家の看護婦エリザベス・サンダースもこの墓地に葬られている(遺産が施設設立資金として寄付された)。このように日本の文明開化、教育、福祉の向上にはこうしたこの墓地に眠る外国人の貢献なくしては語れない。深い感謝の気持をもってご冥福をお祈りしたい。