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墓参りは自分が今生きていることへの感謝を教え、未来の自分に責任を与える

お盆休みといえども誰もが帰省して墓参りをするわけではない。今は海外旅行へ行ったり、逆に自宅でゆっくりしているという人も多い。しかし墓参りは普段、考えることのない事実を教えてくれる時間でもある。自分はひとりで生きているのではないという当たり前の事実である。


墓参り離れ?

お盆やお彼岸に故郷に帰省し墓を参る。盆なら夏空に入道雲が浮かび、秋の彼岸なら秋空に細い雲がたなびく。夕方には実家に戻り仏壇に線香をあげ、家族と在りし日の思い出を語り合う。
かつては盆休みの当たり前の過ごし方だったが、先日テレビ番組で観た、盆をどう過ごすかのアンケートでは1位「ゆっくり休む」、2位「旅行」。帰省、墓参りは5位だった。

もちろん人にはそれぞれ事情があり、頭ごなしに論評することではない。またアンケートのメディアによっては異なる結果にもなるだろう。その上で、盆・彼岸の帰省・墓参りが昔ほどには身近ではなくなってきているのは感じられる。そしてそれは憂慮すべきことだ。


墓参りが教えてくれること

墓参りの意義は単なる追悼の儀式ではない。自分がいま、ここに生きて在ることへの感謝と責任を、先祖に教えて頂くことだと考えるからである。

かつて自分が何事か世間に対して恥ずかしい事をしてしまうと「家の恥」として厳しい目にさらされた。昨今ではそのような古い慣習・伝統・家・国などに縛られない個人を尊重する自由な生き方が推奨されている。それはひとつの考え方として尊重すべきだが、はたしてそれだけ良いのだろうか。

自分はいま、いきなりこの世に現れたわけではない。両親がいて、祖父母がいる。先祖、祖先がいる。当たり前のことである事実なのに、普段は忘れられている大切な事実だ。それを軽視してはいないか。


ひとりではない。伝統がある。歴史がある。

例えば、中国武術や日本の古武道などには古くから伝承されてきた型がある。いまの若者はこれらを古臭い骨董品のようなものだと敬遠しがちで、近代的な格闘技を学ぶことの方が多い。しかし型とは単に古臭い技術の寄せ集めではない。先人が修練し身につけたもの、果たし合いや戦場などでの経験などをまとめたものであり、型のひとつひとつには先人たちの血と汗が込められている。それを理解せずただ順番だけを覚えても何の意味もない。ひとつの型に込められた歴史と意味を知ってこそ内面的な成長につながる。そして先人の技を受け継ぐことは歴史を受け継ぐ責任を背負うことにもなるのだ。


エゴは時として歴史や伝統を軽んじる

「仮に負けたら李書文の1000の1くらい汚れる。ひとりではない。伝統がある」

これは中国武術家・松田隆智氏(1938~2013)の言葉である。李書文(1864~1934)とは高名な中国の武術家で伝説的な達人。松田氏の師爺(師の師)に当たり、もし自分が負ければ李書文の名誉をいくばくは汚すことになるとの覚悟と責任を持てということだ。然るべき場において、流派を名乗り対峙する時、ずしりと肩に乗ってくるものがある。自分の敗北でだけでは済まされない責任が生じる。自己流では感じることのないものだ。

自分はひとりではない、自分の後ろには幾人もの先人が控えている。彼らの歴史の上で自分はいるのだ。そして武術を学ぶ者は正統な技術を次世代に伝える責任がある。伝統を受け継ぐとはそういうことだ。自分自分とエゴにとらわれていては歩けない道である。


個人主義とエゴイズム

よくオリンピックなどの大きな大会に出場する選手が「大会を楽しんできます」などと言うことがある。国だの団体だのに縛られることなく、自分自身のために戦ってこいという向きは一概には否定しないが、疑問に思うこともある。自分がここまで育ったのは誰のおかげか。師や家族、自分を応援してくれたあらゆる人たちのおかげではないか。一見、自由に見えて、実は「個人」「自分」にこだわり、執着するエゴイズムに陥ってはいないだろうか。


松田隆智氏が手掛けた漫画「拳児」では

松田氏が原作を手がけた漫画「拳児」(週刊少年サンデー1988~92連載)では、中国武術を学ぶ主人公の少年・拳児が星空の下でこのように語る。

「考えてみたら空気だって“天の恵み”だよな」「本当に天地は慈愛に満ちている」

そしてこれまで関わってきた師、友人、家族らの名を挙げる。

「みんな、僕に愛をくれている」「星も、山も、川も、空気も、みんな愛だ 僕はなんと幸せだろう」

それは、ひとりでは一瞬たりとも生きることなどできないちっぽけな自分を包みこみ支えてくれる、「大いなる愛」を知ることであった。「自分が」「自分で」などのエゴに囚われた考えで生きていく先には結局、孤独な無縁社会が待っている。拳児は個人主義の持つエゴから解き放たれたのである。


墓参りの本当の意味

墓を参り、思い出を語るのは単なる懐古主義ではない。むしろ自分がいま、ここに在ることの確認と感謝のひとときである。そして責任が生まれる。家の恥にならぬ生き方をするという責任である。家族、先祖の名に泥を塗っていけないという責任である。それが大人になるということだ。

我々は仕事に家庭に忙しい。普段は自分のことだけで精一杯である。だからこそ、こういうことを考える時間が必要であるし、こういうことを先祖が教えてくれるのが墓参りなのである。

子供の頃は墓参りなど辛気くさいことは面白くないものだ。親が生活の中に自然に組み込み、その意味を教えてやらなければならない。墓参りの意味を次の世代に教え継がせることは大人の責任であると思う。


参考資料

山田英司「八極拳と秘伝―武術家・松田隆智の教え」東邦出版(2014)

松田隆智・藤原芳秀「拳児 全12巻」 小学館文庫(2002)


ライター 渡邉 昇
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