前回わたしは、「神棚は世襲制か?」について書きましたが、同様に仏壇はどうなのか、というのも気になるところです。
わたしの実家は、代々長男が継いで来た本家で、立派な仏壇と神棚があったことから、ついつい世襲制と、わたしは思い込んでいました。しかし、よくよく考えてみると、わたしの父の先先代が佐渡島から北海道に移り住み居を構えてなからの本家なので、もともとは佐渡島にある、わたしにとってはひいおじいちゃんの実家が本当の本家ということになります。ということは、かならずしも世襲制ではないということなのですね。
ちょっと調べてみましたら、仏教の宗派にもよるかもしれませんが、仏壇も神棚と同じく、新居を構えるなどを機に家に構えることを決めたりするそうです。仏壇を家に置く意味合いは、やはりこれも神棚と似ていて、でも神様ではなくご先祖様を敬い崇めるためです。ひいおじいちゃんも、住む土地は変わっても、先祖を大事にするため立派な仏壇を設けたんですね。
私の実家には仏壇も神棚もありました
わたしは無宗教ですが、この日本に生れ落ちて、生粋の日本人として育った身としては、神様も仏様もご先祖様も、なんとなく敬い、折々にお祈りしたり、お供えしたりします。でも親に倣ってるだけで、ちゃんとした作法や行事を知らず、把握はしていませんが。
たぶん...敬虔な、神道もしくは仏教の信者の方からしたら、仏壇と神棚を両方おいて敬うのは、浮気性というのか、欲張りというのか、もしくは節操がないというのか...。そのように見えるかもしれませんが、我が家ではちゃんぽんでした。
あくまでわたし個人の意見ですが、そもそも日本には「八百万の神」がいらっしゃるということなので、一神教で縛りが多くていろいろ難儀するよりは、身近ないろんなことや物に対して、畏怖や尊敬を持って接する「日本の神様たち」のほうが接しやすいような気がしてしまいます。と同様に、仏壇の仏様たちも、もともと肉親ですから、身近なのですよね。
仏壇は日本独自のもののようです
実はこの仏壇、日本独自のものなんだとか。だからでしょうか、日本で生まれた神道の神棚と同じような役割のものが作られたのは。御仏様ではなく、ご先祖様を祀る仏壇に対して、ほかの仏教国からは批判もあったりするようです。先述したように、わたしの実家では神棚と仏壇両方がありましたが、ざっくりとした意味合いですみわけると、神棚は神様へ、仏壇はご先祖様へそれぞれ祈りを捧げるものなのでしょう。だから一軒の家にふたつの異なる宗教が混在していられるのかもしれません。たしかにわたしも実家に住んでいた時は、そのような捉え方をしていたと思います。今も実家に帰って仏壇に手を合わせる時は、心の中で大好きだったおばあちゃんに話しかけています。
そのように生活の一部だった仏壇や神棚も、最近は核家族化が進み、都市過密状態で居住スペースも狭くなり、あとは無宗教という人たちが増えたこともあって、置く家庭が少なくなったようです。我が家もご多聞にもれず、夫と二人借家住まい、弟妹のコンビですので、引き継ぐものはなく、かつ無宗教なので、正直なところ仏壇を持つことは考えたことがありません。
無宗教だから仏壇は不必要と考えるのではなく、先祖を敬い続ける為の1つのアイテムとして考えるのはどうでしょうか?
そんな仏壇離れの現状を見て、どうにか食い止めたいという動きがあるとのニュースを見つけました。
滋賀県の彦根仏壇組合に属する有志グループが、斬新なデザインの仏壇セットを提案していると言います。県内の、信楽焼や長浜市のガラスの職人たちの協力も得て、制作しているとか。たとえば、ガラスの位牌やコンパクトで持ち運びしやすい仏壇など、現代のリビングに置いても違和感のないデザイン性、利便性の高いもののようです。
仏教徒の方には怒られてしまうような考え方かもしれませんが、宗教としての仏壇というよりは、亡くなった家族を偲び、また敬うために祈りを捧げるためだけのアイテムとして新感覚の仏壇というのもいいのかもしれないと思ったのでした。