遺族になるというのは、ある程度、心の準備と気持ちの整理が必要です。故人を送るという、大事な葬儀があるからです。その為の心構えと準備というのは、ある程度時間が必要です。
例えば、寝たきりになってしまった。医師から余命宣告があった。そんな場合には、数か月の準備期間があります。いつかやってくるその日に向けての気持ちの整理がつきます。また、葬儀のための準備がたくさんあります。葬儀の手配、お金のこと、保険、遺影の選択、遺言、遺産の分配、知人や友人、親戚などの連絡、菩提寺の手配、お墓のこと、やることがたくさんあります。
時間があれば、葬儀の進め方やどんな葬儀にするか遺族となる人たちで話し合うことができます。
密葬や家族葬など、最近はいろんな形式があります。生前の故人を忍んで、誰もが『いい葬式だった』と
思うような葬儀ができます。それが理想だと思います。そして、納得がいく葬儀ができれば、故人を思い、安心して
悲しみに涙を流すことができます。それが、残された者として、出来ることだと思います。何のトラブルもなく、立派な遺族として、葬儀を仕切るのも大事なことの一つでもあります。そのためには時間も必要なのです。
突然亡くなってしまったら
もう一つは『ある日、突然亡くなってしまう』ということです。
いつものように、いつもの時間に会社や学校に行きます。ところが、事故や事件に巻き込まれて、突然亡くなる場合もあります。また、無事に手術も終えて、退院の日も決まり、快気祝いの準備をしているときに『容体の急変』で、突然亡くなることもあります。
そんな遺族は、大切な人の死を受け入れることができません。気持ちの整理も心の準備もできていません。
亡くなるということを前提としていないからです。それでも、葬儀はしなくてはなりません。そして、葬儀のために決めなくてはいけないことがたくさんあります。それを、たった数日で決めなくてはなりません。葬儀の形式、遺影、知人や友人の誰に知らせるか、もちろん、突然亡くなったということで、遺言もありません。
遺産をどうするかという話し合いも出来ません。そんなときでも葬儀の準備をしなくてはならないのです。
遺産のこと、お墓のこと、菩提寺への連絡などなど、急なことだけに、とても大変です。
悲しみに暮れている時間はありません。泣いている場合でもありません。滞りなく、故人を送る、葬儀をしなくてはいけないからです。
どちらの場合がいいか悪いかではありません。ただ、どちらの場合も、遺族になるという現実には変わりありません。大きな違いは、心の準備と気持ちの整理ができているかどうかです。出来ないままに故人を送る遺族の気持ちは、言葉になりません。遺族になるということを受け入れるには、時間がかかります。四十九日、一周忌、納骨式など、そんな現実を経てやっと故人を受け入れられる気持ちになります。
改めて遺族になるということは
しかし、どちらの場合でも、遺族には違いありません。
大切な人を亡くすという前提で葬儀をするかしないかということです。
そして、遺族になるという大事なことは、どんな形で迎えるにしても心の準備と気持ちの整理は、しておきたいものです。