わたしの仕事柄、まわりにはフリーだったり自営業でお仕事している人が多かったりするのですが、つい先日、一緒の現場にいた年配の男性が言っていたことが気になりました。その方もフリーでお仕事なさっているのですが。
そのとき、自分は何連勤している、とかお休みはいつとった、なんて話をしていました。働く現場ではよくある話題です。するとその方が「オレはもう120日休んでないかな。年末までもう休まないよ。」と言います。なんと働き者!しかしそんな彼も絶対に休む日があると言います。それは、元旦。大晦日も17時以降は絶対に仕事を入れない。そして、かならずすることがあるんだとか。それは神棚のしめ縄を新調することなんだそうです。やはり、仕事をいただけなくなってしまうのが一番恐ろしいフリーの身としては、神様にも味方になってもらわなければなりません。健康第一、商売繁盛!
神棚は長男が守らなければいけないものではないんです
それを聞いたわたしは、何気なく頭に浮かんだ質問をしました。
「長男なんですか?」
返答は意外にも「末っ子だよ」でした。
勝手な思い込みでしたが、神棚や仏壇というものは、長男が本家で脈脈々と守りつないでいくものだと思っていました。
というのも、わたしの実家は北海道のど田舎で、歴代の長男が商売を継いでいました。父の先代のさらに先代、わたしの曾おじいちゃんにあたる人が佐渡から渡り、そこに腰を据えたようです。なので、我が家には、曾おじいちゃんから始まった一族の遺影と立派な仏壇が置かれた部屋があり、商売繁盛のため?なのか居間の高いところに神棚が据えられておりました。わが家でもやっぱり、神棚には毎年大晦日、新しいしめ縄が飾られました。
生まれ育った環境がそうだったので、すっかり長男継承と思ってきましたが、神棚はどうやらそうじゃなさそうです。
調べてみると、家族の属性に関わらず、人生における節々で設置を検討するもののようです。家を新築したとき、結婚したとき、厄年など。あとは、思わぬ悪いこと、良いことが起きたときも置く時期なんだとか。
そういえば、わたしは北海道の出だったので、結婚はかの有名な北海道神宮(道民にだけ有名?)であげたいな、と思い、ごく身内だけで執り行いました。そのとき、小さな神棚のようなものをいただきました。ホントに小さく、たぶん簡易的なものなので、一年経ったら系列の神社で処分しなければならなかったのですが…4年経過してもなお、わが家のリビングに置かれております。見た目がなんだかプチ神棚みたいで、わたしも小さいけど家庭を持ったんだな、とちょっと感動したのを今でも覚えています。その感慨が深かったのか、いまだ手元から離せずにいるというのが正直なところです。
最後に・・・
不思議な話ですが、そのプチ神棚は、ほこりがたまりません。わたしはかなりの不精者でけっこうほこりをためてしまうのですが、まわりがほこりだらけでも、そこだけキレイなのです。材質が、ほこりをすべらせるものなのかもしれませんが。なのでわたしとしては、とても神々しく感じられ、ついついご挨拶したり、あまり汚れていないのですが、丁寧に拭いたりします。
そこで気づくのは、自分がそれに対して、物腰柔らかく、優しい気持ちで接しているという現実。これは、どんなモノやコト、またはヒトに対して接するうえでとても大切なことなのではないでしょうか?それにプラスして、この物腰のおかげでいろんなことがうまくいくと、今度は感謝の念が生まれてくるのだと思います。
先人はそういった思いを込めて神棚を祀ったのかもしれません。
人づきあいが特に!ものをいうフリーの世界に身を置くわたし。ちょっとした世間話からいろいろ考えて、やはりそろそろ、ちゃんとした神棚を据えなければならないときにきたのではないかと、そんなことを大先輩から教わったような気がしました。