人は死がすぐそこまで近づいて来た時、どんな風景を見るのだろう。三途の川なのか、天国からやって来たお迎えなのか。死の間際に「走馬灯のように記憶が蘇る」というのも、昔から小説や映画の中でよく聞く言葉だが、誰しもそんな風に過去の人生がフラッシュバックするのだろうか。しかし、死んだ人が生き返る事はないので、真実のほどは誰にも分からない。今回は、死の間際に「走馬灯のように記憶が蘇る」事は本当にあるのかどうかについて、少し考えてみたい。
そもそも走馬灯とは
まず、走馬灯がどのような物か知っておく必要がある。走馬灯とは、中国で発祥し、江戸時代中期に日本でも作られるようになった灯篭の一種である。蝋燭の光で映し出された馬の影が灯篭の中でくるくると回転し、その影が部屋中に映し出され、幻想的な雰囲気を作る夏の遊び道具だった。その仕組みは、二重になった灯篭の内側の枠に、馬の形に切り抜いた紙を貼りつけ、枠の上部の風車と繋げる。そして蝋燭に火を灯すと、その熱による上昇気流に乗って風車が回転し、それによって馬もくるくると回転する。そしてその影が、スクリーンの役割を果たす外側の枠に貼られた紙に映し出されるという、影絵の仕組みを利用したものである。現在、カラフルな電動式に進化した走馬灯は、主にお盆やお葬式の装飾品として仏前に飾られている。
海外でも研究されている走馬灯現象
走馬灯の馬の影がくるくると途切れる事なく回り続ける事が、記憶が連続して蘇る様子を「走馬灯のように」と呼ぶようになった所以だが、それがいつから死の間際に見られると言われるようになったのか、はっきりとした記録はない。それはおそらく、科学的な臨死体験や、瀕死の状態から奇跡的に生還した人たちからの意見を基にして、そう言われるようになったのであろう。この現象は日本独自のものではなく、海外でも「パノラマ記憶」という名称で認識されている。イギリスでの研究によると、パノラマ記憶とは、ものすごいスピードで蘇る人生の記憶を、映画を見るように客観的に見る体験であり、しかもその記憶は一つのスクリーンに映し出されるのではなく、複数のスクリーンに同時にいっせいに映し出されると言う。また、そこにBGMのように音楽が流れる場合もあるという点も、とても興味深い。
走馬灯のように記憶が蘇る状況とは
アメリカの心理学者の研究によると、走馬灯を見るのは意外にも「突然死」のケースに多いと言われている。つまり、突然の自動車事故や、転落、溺死などである。要するに死に直面し、死を確信した極限状態だ。では、なぜそのような結果になったのだろうか。その理由としては、人は死に直面した危機的状況に陥ると、助かりたい一心でなんとか助かる方法を脳から引き出そうとするため記憶が一斉に蘇る事。また、突然死の中で最も走馬灯を見る確率の高い溺死の場合、記憶を管理する脳の器官である海馬が、酸素不足のために正常に記憶を管理しきれなくなり、その結果、支離滅裂に記憶が溢れ出すのだ。さらに、急に死に直面した事により、多量に分泌したアドレナリンが脳に変化ももたらし記憶を蘇らせるなど、その理由は一つではない。
走馬灯の現実
以上のような研究結果から、死の間際に「走馬灯のように記憶が蘇る」には、ある一定の条件が必要であり、誰しもが体験するものではない事が判明した。さらに驚くべき事は、瀕死の状態から生還した人へのインタヴューの統計では、走馬灯を見るのは20歳以下の若者に多いと言われている。「走馬灯のように記憶が蘇る」と聞くと、寿命を全うし、家族に見守られながらベッドの中でゆっくりと息を引き取るイメージがあるが、それは、走馬灯の幻想的な光のように、見送る方のファンタジーでしかないのだろう。