北方領土問題は、日本、ロシア(ソ連)間における長きに渡る課題である。歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島からなる北方領土は、江戸時代の1700年代に松前藩による千島統治の記録があり、それから第二次世界大戦後の1949年まで日本人が居住していた。そのため、島の各地に日本人墓地が存在しているが、ソビエト時代の日本人墓地の破壊もあり荒れた状態となってしまった。しかし近年、そんな日本人墓地の立て直し事業が北方領土への「ビザなし交流」により行われている。
元島民の北方墓参は昭和39年より実現し開始された
日本人が北方領土から引き揚げて以来、元島民たちの「先祖のお墓参りがしたい」という願いを受けて、日本政府は人道的見地からその実現に向けてソ連側と交渉を続け、昭和39年に初めて実現した。その後、ソ連側の同意が得られず中断する時期もあったが、昭和50年までは実施された。
しかし、翌51年、ソ連側がパスポートの所持とビザの取得を要求して来た。
ビザなし交流となった経緯とは
日本政府はそれを受け入れれば北方領土が法的にソ連の領土であると認める事になると判断し、それ以後、昭和60年まで中断される。昭和61年、ソ連側からこの問題に関して人道的に検討する意思が表明され、従来の身分証明書による渡航での北方墓参が再開された。
ビザなし交流は当時の大統領ゴルバチョフにより日ソ共同宣言に盛り込まれた
北方領土への「ビザなし交流(北方四島交流事業)」とは、日本人が北方四島を訪れる訪問事業と、北方四島に住むロシア人が日本を訪れる受入事業の二つからなる交流事業だ。
平成3年に来日したゴルバチョフ大統領が提案し、日ソ共同声明に盛り込まれた事により作られた。日本人とロシア人が相互理解を深め北方領土問題の解決を目指す事を目的とし、現在までに約1万2千人の日本人が北方四島を訪問、約9千人のロシア人が日本の都市を訪れている。
ビザなし交流による日本人墓地の立て直し事業
2018年7月、択捉島は紗那村にある日本人墓地の立て直しが「ビザなし交流」により実施された。高齢化が進む元島民たちに、なんとか元どおりのお墓でお墓参りをと言う、子孫たちの願いから生まれた計画だ。
しかし「ビザなし交流」の実施は年に一度であり、滞在時間には制限がある。しかもその中で墓地の立て直しに使える時間は3時間だけだと言う。そのため、3年がかりの計画となっているが、この事業に資材や道具の提供で協力した現地のロシア企業が、交流期間終了後も積極的に作業を進め大幅に立て直しが進んだ。日本人訪問団の熱意が現地の人々を動かしたこの計画は、領土問題解決に向けた大きな成果と言えるのではないだろうか。
領土問題の行方
戦後70年以上ももつれてきた北方領土問題を解決する事は難しい。ロシア政府は北方領土への移住を奨励し、現地はすっかりロシア正教の教会が建つロシアの街並みだ。北方領土の返還は、現地のロシア人たちにとっては大きな不安となるだろう。
2019年1月22日、モスクワで日露首脳会談が行われた。会談後、返還交渉の具体的な進展は表明されず、領土問題解決の見通しは厳しい。日本人とロシア人、北方領土で共存出来る日は、果たして訪れるのだろうか。