朝の冷え込みがぐっと厳しくなってきて、そろそろ紅葉がお目見えしてきそうな今日この頃ですが、お正月に新年のご挨拶をして以来、ご無沙汰となっていた夫の実家にひさびさ帰省したのでした。
いつもながらに歓迎をうけ、夜には宴が始まりました。話題は今年不惑の年を迎えたわたしたち夫婦の年齢に移り、義母がため息まじりに「わたしたちも年をとるはずよねぇ」とつぶやきました。ここまではよくある家族の会話で、われわれも何度も耳にしたことがありました。しかしそこで義父が今まで口にしたことのない話をし始めました。
まず義母に向かって「おまえは自分に何かあった時のこときちんと考えてるのか?」と問いかけ、次に発したのが「オレはエンディングノートだってつけてるんだぞ」というセリフ。
エンディングノートと遺書の違い
エンディングノート?そういえば最近よく耳にする言葉ですが、まさかこんな身近なところで聞くとは。
エンディングノートをすこし調べてみると、まず遺書との違いは、法的効力がないということ。内容も、本人が伝えることができない状況に陥ったとき、たとえば植物状態であったり、亡くなったりしたときですね、そんなときに遺された人たちが困らないようにするためのものなんだそうです。
ちょっと不謹慎かもしれませんが、自分の親に何かあった時を想像すると…なにもできないことに気づきました。わたしは兄弟の3番目で、親元からもいち早く離れたこともあり、なんとなく兄弟まかせにしてしまってるところもありますが。そんなときのため、そんな心持ちの子供たちはじめ遺族のためにエンディングノートは役立ってくれるのですね。
ありとあらゆる生前の情報を書きためるエンディングノート
今回、調べようとWEB検索してみましたら、その書き方や雛形のダウンロードがたくさん出てきました。もはや最も身近な家族が書くほど、世の中には浸透しつつあるのかもしれません。なので興味もあり、そのエンディングノートの雛形をダウンロードしてみました。
その内容は多岐にわたり、事務的なものからかなりプライベートなものまで。たしかに人間一人の人生をまとめるとしたら、そうなるのでしょう。
まずは遺言の有無。
次は自分が要介護となったときの要望。鬼籍に入らないまでも、もう社会人としては意見を述べられない状況になったとき、ですね。「してほしくないこと」という項目がありましたが、生活をする上では弊害になりそうな要望が書かれていた場合はどうなんでしょう?法的効力は薄いようなのですが、しかしそのような要望が書かれていると、背くのはすこしはばかられますが。
友人、親族、仕事関係などの連絡先。自分のプロフィール、好きだったことなど、自分史。そこから、保険や預貯金、不動産。そして、ローンはじめ借金状況。そのなかで、今っぽいなと思ったのは携帯電話の扱いについて。破棄して欲しいか否か?だれに扱ってほしいか?同じように、ツイッターやfacebookなどのSNSについても。はては大事なペットの今後についても。
わたしの父母については、携帯系のなやみはないでしょう、彼らは共有していますし。しかしわが身と考えると、携帯の扱い、SNSなどの処理はすごく考えるところだったりします。と、そこでわたしも、病気があるわけではないですが、自分の人生を振り返る意味でも、不惑の年ですしエンディングノートを書いてみてもいいかもしれない、とその雛形を見てみて感じました。
少しでも自分の最期を良くするためのツール
そもそも振り返るとエンディングノートのさらなる火付け役となったと思われるのは、そのままそのタイトルのドキュメンタリー映画。わたしは実はしらなかったのですが、日本のドキュメンタリーとしては記録的な興行成績を残したそうです。
末期がんの父親を実の娘が撮るドキュメンタリー。がんを患うおのれを振り返り、その最期を自分自身で葬る作業を、できるだけ楽しく、そしてあたたかく見守られた様子を映した映像なんだそうです。
エンディングノート。自分にはどんな最期が待っているのか、それはまったく分かりませんが、しかし。良い方向には持っていくことができるかも。そんなヒントを秘めた、自分のための記述。遺族のためだけではなく自分のための、自分に対する履歴書として、いつかは作ってみてもよいかもしれません。