以前、お寺さんに隣接する宴会場でアルバイトをしていたことがあり、精進会席や精進料理を運んだ経験があります。
辞書によると、精進とは「行いを慎むこと。あるいは、一切の誘惑を立ち、そのことだけに打ち込むこと」だそうです。精進料理とは、殺生をしないという仏教の戒律をもとに、肉食を控え、野菜、穀類、豆類などの植物性食材を工夫して調理したものです。ですので、精進会席は、野菜の煮物や湯葉、お豆腐にご飯、果物というお膳が多かったです。天ぷらも野菜のみ。エビははいりません。
それが、精進落とし、精進明けのお膳となると、天ぷらにエビが入り、お刺身盛り合わせの鉢がつきました。お寿司が入る場合も多かったですね。
豊富な精進料理と精進落とし
インターネットで精進料理と検索してみると、ヘルシーでおいしそうな料理のメニューが続々と出てきます。マクロビやオーガニックなどというコンセプトがハヤる前から、日本人はずっと〝精進′′してきたのですね。美食を慎み、手間ひまかけて調理することにより真においしい味付けに至るという精進料理は、もっともっと注目されてよい和食の粋なのかもしれません。旬の素材を使って食材の持ち味を引き出す調理法ですので、当然のことながら、体にもよいと思います。意外と腹もちもよいというのも、初めて食べられた方に共通する感想です。
精進落とし、精進明けをいつ行うは、地域や宗派、葬儀の段取りによってまちまちです。本来であれば、故人が仏様になるための精進潔斎(しょうじんけっさい)の期間が明ける時、つまり、四十九日がタイミングなのでしょう。しかし、現在の通例では、お通夜、告別式に参列してくれた方々を慰労する会を精進落としと呼んでいるところが多いようです。葬儀と一緒に〝繰り上げの初七日法要 ′′が行われることがありますので、その初七日をもって精進落としとしているのでしょう。さらにもっと解釈が進んで、火葬場での待ち時間に、〝檀払い′′として精進落としのお席を設けることもあります。檀払いとは葬儀に使った祭壇を片付けること。何かと忙しい現代人のために、いろいろとコンパクトになり、一気にやってしまう傾向が強くなっているということですね。
食べて語らうというのは、この世に生きている証
わたしはお酒を嗜みませんが、宴席は好きです。あれこれと料理の準備するのも楽しいですし、食いしん坊でもあります。そして何より、集まった方々を見ているのが好きです。同じお席は二度となく、一期一会のご縁を感じるからです。食べて語らうというのは、この世に生きている証みたいなものですね。精進料理でも精進落としでも、命と恵みに感謝しつつ、故人をしのぶひとときを味わいたいものです。