この世に生まれたからには、いつか必ず死は訪れる。今の所、どんな大富豪でも不老不死の薬は手に入れられない。だからこそ、昔も今も「死」は人間にとって、思想、芸術、科学など、様々な分野においての永遠のテーマなのだろう。しかし、人間は日々の生活の中で、自分がいつか必ず死ぬという事をなかなか実感できない。そんな人間たちに、死を思い出させる1つの言葉が古代ローマ時代に生まれた。それがラテン語の「メメント・モリ(memento mori)」だ。
メメント・モリ=死を忘れるな、死を記憶せよ
「memento mori」は英語にすると「remember death」。日本語にすると「死を忘れるな」「死を記憶せよ」という意味である。
古代ローマ時代、戦いに勝利した将軍の華やかな凱旋パレードで、勝利に酔う将軍の後ろから使用人が「メメント・モリ」と囁いていた。それは「今は勝利して人生の絶頂にあるが、明日はどうなるかわからない」と、将軍の気を引き締めるためであった。ただ、キリスト教誕生以前の古代ローマ時代は宗教中心ではなく人間中心の世界であり「メメント・モリ」という言葉も、死を考えると言うよりはむしろ「明日には死ぬかもしれないから今を楽しめ」という言う意味合いで使用されていた。
古代ローマ時代が終わりキリスト教の世界が到来すると、世の中に天国と地獄の概念が定着して人々は死後の世界の事を考え始めた。そして「メメント・モリ」という言葉も、古代の「今を楽しめ」という意味合いから「死後のために生きろ」という、キリスト教のスローガン的なものに変化して行ったのだ。そこから「メメント・モリ」をテーマとした多くの芸術作品が生まれる事になる。
芸術のモチーフとしての「メメント・モリ」
「メメント・モリ」をテーマとした芸術作品の中で、その主人公とも言えるのが「骸骨」である。絵画においては、14~15世紀頃に描かれた「死の舞踏」が最も有名だ。
ヨーロッパ各地の教会に描かれた「死の舞踏」の共通の様式は、貴族、聖職者、農民など様々な身分や年齢の人々のもとへ骸骨が現れ、踊りながら身分とは無関係に人々を連れ去って行く様子である。骸骨は死を意味しており、死は身分に関係なく平等に訪れ、死後の世界では身分は無に帰するという死の普遍性が現されている。
16~17世紀には、北ヨーロッパで静物画にメメント・モリが盛んに描かれた。共通のシンボルは頭蓋骨、枯れて行く花、時計などの死を象徴する物であり、全ての命には限りがある事、また物欲は罪である事が現され、これらの作品はラテン語で「ヴァニタス(空虚)」と称されている。
18~19世紀になるとメメント・モリ芸術はもっと身近になる。半身が人間で半身が骸骨というデザインの、持ち運び可能な小型オブジェや、インテリアとしても使用出来るような彫像が作られ、人々は日常生活の中のちょっとした時間に、キリスト教のスローガンを再確認出来るようになったのだ。
現代アートの中の「メメント・モリ」
キリスト教がそれほど生活を支配しなくなった現在でも、多くのアーティストがメメント・モリに影響を受けた作品を発表している。最も代表的な人物は、イギリスのダミアン・ハーストだろう。
2007年に発表された頭蓋骨に8000個以上のダイヤモンドを敷き詰めた作品「神の愛のために」の主題はメメント・モリであり、ドクロは死を、ダイヤは命を表している。
いつの世も芸術家の感性を刺激してきたメメント・モリ。古代に生まれた1つの言葉が持つパワーに驚くばかりである。