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二人の偉大な音楽家 モーツァルトとベートーヴェンの対照的な葬儀

世界で最も有名な音楽家と言えば、モーツァルトとベートーヴェンではないだろうか。「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」「運命」など、クラシックに興味がない人でも、必ずどこかで耳にした事があるほどの名作を生み出した二人は、共に神聖ローマ帝国で生まれウィーンに没した。ハイドンを含めウィーン古典派の三代巨匠と称される二人だが、二人の人生の最期を締めくくった葬儀には、大きな違いがあった。今回は、その違いをよく現している2本の映画をご紹介したい。


「アマデウス」に描かれた今も謎を呼ぶモーツァルトの葬儀

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの生涯を描いた映画「アマデウス」は、1985年に日本で公開された。アカデミー賞8部門に輝いたこの作品は日本でも大きな話題となり、当時、高校生だった私も、モーツァルトの事はよく知らなかったがとりあえず観に行った。そんな私が、この映画で最も衝撃を受けたのが、モーツァルトの葬儀のシーンである。

冷たい雨の中、粗末な霊柩馬車に乗せられたモーツァルトの棺は、付き添う人もなく郊外の寒々しい墓地へと運ばれる。馬車は、地面に掘られた共同墓穴の前で止まると、葬儀人達によって麻袋に入ったモーツァルトの遺体が、既に入っている幾つのも麻袋の上に無造作に放り込まれる。そして司祭がいかにも面倒そうに手短に祈りを捧げると、葬儀人達も棺を馬車に戻して足早に走り去って行く。

音楽の教科書にも出てくるモーツァルトの最期の雑な扱いに、ただ驚くばかりの私だったが、どこに埋葬されたか記録がないこの葬儀のシーンによって、今も語り継がれるモーツァルト暗殺説が象徴されていた事に、大人になってようやく気がついた。


モーツァルトとは対照的に盛大だったベートーヴェンの葬儀

1995年に公開された「不滅の恋/ベートーヴェン」は、ベートーヴェンの葬儀のシーンから始まる。

史実によるとベートーヴェンの葬儀は、ウィーンの三位一体教会で執り行われた後、棺は4頭立ての霊柩馬車に乗せられ、その後に参列者を乗せた200台の馬車が続き、沿道に集まった人々を合わせると2万人以上の人々が見送ったと伝えられている。この作品ではその葬儀の様子が上手く再現され、ベートーヴェンが当時の人々から愛され尊敬されていた様子が伝わってくる。

物語は、ベートーヴェンの死後に発見された「私の楽譜、財産のすべてを、我が天使、我がすべてである不滅の恋人に捧げる」という手紙から、その不滅の恋人は誰なのかを追うと同時にベートーヴェンの生涯を辿って行く。

ベートーヴェンは楽譜を修正なしで書けた天才モーツァルトとは違い、何度も修正を重ねて曲を完成させた。また、作曲家でありながら聴覚を失うという不幸など、その人生は失意に満ちたものであった。この作品では、ベートーヴェンがそんな苦悩の中から強く美しい作品を生み出して行く様子が、ゲイリー・オールドマンの名演により描き出されている。


時代が変えた二人の葬儀

モーツァルトとベートーヴェン、二人の葬儀はなぜそんなにも違っていたのか。

モーツァルトが亡くなった1791年、音楽はまだ王侯貴族のためのものであり、音楽家は彼らの使用人に過ぎず、その身分は低かった。1827年に亡くなったベートーヴェンの時代には、鉄道や出版業の発展によって音楽家は活動の範囲が広まり収入も増え、一般市民も音楽を楽しむようになった。また、ベートーヴェンは貴族に屈せず音楽家の地位を向上させようと努めた人物であり、人々から尊敬を集めた事も一つの理由なのかもしれないと考える。


ライター 岡倉
アマデウス

アマデウス

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