2011年3月の東日本大震災発生から10ヶ月ほど過ぎた頃「『幽霊が見える』と悩む被災者」という報道があった(2012年1月18日 産経新聞)。行政の相談窓口に持っていけるような話ではなく、親族にも相談しにくい。宗教界の人々が被災者の相談を受け、心の傷の癒やす役割を担おうとしているという内容であった。この報道の後にも複数の新聞社が被災地の幽霊の話題を取り上げている。新聞報道になるほど数多く見聞きされた幽霊現象は、東北学院大学の学生のフィールドワークによって調査され、ある学生の卒業論文にもなった。あの時の被災地での幽霊現象とは何だったのだろうか。
集められた幽霊の話
東日本大震災後、被災地では「水たまりの中に目がいっぱいあった」「海の上をひとが歩いていた」「枕元に人が現れて遺体を見つけてほしいと言われた」などという怪奇現象体験談がしばしば語られた。特に東北の沿岸各地で少なくない数のタクシードライバーが幽霊をお客さんとして乗せたと証言した。
東北学院大学の金菱清教授は、ゼミ生のひとりであった工藤優花さんが報告したタクシードライバーの証言のリアリティーに興味を持ち、工藤さんと共にタクシードライバーの事例を収集し調査した。
タクシードライバーの証言1
深夜の駅で、初夏なのに冬のコートを着た女性がタクシーに乗車した。行き先を告げるのだが、そこは津波のために街は無くなっている場所なので、ドライバーは「あそこは更地だけど、いいんですか?」とたずねた。すると「私、死んだんですか?」と女性が聞いてきた。驚いて振り返ると、後部座席には誰もいなかった。
タクシードライバーの証言2
タクシーを流していたら、小学生ぐらいの女の子が道端で手を上げていた。8月なのに真冬の格好で、「お父さんお母さんは?」と聞くと「ひとりぼっち」なのだと答える。迷子なのかと思って家の住所を聞いて送っていき、告げられた住所で車を停めて女の子の手を取って降ろしてあげた。すると、女の子は「ありがとう」といって降りたと思ったら、ふっと消えてしまった。
タクシードライバーの証言3
若い男性の乗客を乗せたら「彼女は元気だろうか?」と尋ねられ、聞き返すと姿はなく、後部座席には小さなリボンの付いた箱だけが残されていた。
これらのタクシードライバーの証言は具体的で、中にはメーターを倒して走行した運行記録が残されてるケースもあり、ぼんやりとした噂や伝聞の幽霊話ではない印象だ。タクシードライバー達はみな「怖くない」「もう一度乗ってきても乗せてあげる」と言うのだという。
幽霊の正体とは
幽霊が見える、という人が被災地で続出するという現象に関しては、心理学、脳科学、宗教家などさまざまな分野の専門家がその理由や意味について各専門の立場から解釈をしている。その中で災害社会学の研究者として金菱教授は、阪神淡路大震災の時にはあまり聞かれなかった幽霊の体験談が、東日本大震災では頻繁に聞かれる理由に言及している。
東日本大震災では津波で亡くなった人が多かったが、地震後に津波が到達するまで数十分の猶予があったために、あのときこうしていれば助けられたのではないか、という生き残った人の罪悪感を生みやすい状況だという。
津波にのまれて行方不明者のままの人の死を受け入れるには長い年月がかかる。人々は遺体もない「曖昧な喪失」体験のまま、家族や親しい人を死後の世界に送って終わりにできない。曖昧さを温存することで罪悪感もまた抱えたまま忘れず、死者を送らず共に生きる心の世界があり、それが幽霊を見たという体験を生んだのではないかと金菱教授は考えている。
タクシードライバーの体験の特異性
被災地の幽霊に関する卒業論文をまとめた工藤さんによると、他の怪奇現象の証言の多くが「〜なはずだ」「〜かもしれない」という思い込みであったり、幽霊の噂に自分の体験を重ね合わせようとしたりするような曖昧さを持っていたが、タクシードライバーたちの幽霊体験にはリアリティがあったという。
霊魂を間近に感じたり会話をしたり、実際にメーターを倒したりしている。工藤さんはメディア取材を受けた際に、これらの証言のリアリティの理由を死者と残された人の無念さを基軸に考えて答えている。
突然人生を閉じさせられてしまった人の強い無念の気持ちと、生き残った人々の助けられなかったという無念の気持ちが、昼夜街を走るタクシーという狭い空間の中で呼応したのだろうというのだ。タクシードライバーたちが死者との出会いを恐ろしいものと考えず、その魂に畏敬の念を持って体験を語ることを聞き手として受け入れた分析である。工藤さんは、絶望や虚無の中にいた人々が幽霊と出会うことで、尊いという感情を経験することの価値にも言及している。
幽霊と学問
未曾有の災害でたくさんの人が亡くなり、たくさんの遺体を目撃するような強烈に死を身近に感じる体験をした時、人は意識の奥に眠っている人智の及ばない何かへの強い思いが呼び覚まされる。それを金菱教授は「霊性」と呼んでいる。工藤さんの被災地の幽霊を調査した論文の他、金菱ゼミの学生たちが記録した震災の記録は「呼び覚まされる霊性の震災学」(新曜社 2016年)という一冊の本としてまとめられている。
統計的「お化け調査」
各国の人々の意識調査をしている統計数理研究所が、1970年代後半から「お化け調査」とも呼ばれる「基底意識構造調査」をしている。その調査票の中に「あなたはあの世というものを信じますか?」という質問項目がある。
1958年には「信じる」という回答は20%だったが、2008年には38%に増えている。特に20歳〜49歳までに限って比べると、「あの世を信じる」という人は50年の間に2倍以上増加している。あの世の存在を「決めかねる」と答えた人を加えると、2008年時点で60%以上の人があの世を否定していない。
この50年間の変化の要因は様々に考えられるが、明確な理由がわかっているわけではない。しかし、かつてなく合理的で効率的な社会システムの中に生きているような現代の日本人にも、「幽霊が見える」という非合理的な体験を現実のものとして受け入れ肯定する心の準備があったとはいえる。
死者を帰してあげたい
きっと多くの人は、津波で行方不明のままの人があると聞けば、さぞその人の魂は家に帰りたがっているだろうと思うだろう。若い命が失われれば、その未来ある人生の軌道にできることなら戻してやりたいと願うだろうし、愛する人を失えば幽霊でもいいから会いたいと思う。しかし、家から遠く離れたところにいる魂は元の場所にどうやって帰れるだろうか。
津波が襲った街には電車もバスも走っていない。ふだん人を目的地に送り届ける仕事をしてるタクシードライバーたちは、魂は自分たちを頼ってくるかもしれないと考えなかっただろうか。タクシーで人を家に送り届けるように、帰りたくても帰れない魂を元の場所に帰してやりたいという思いが彼らの無意識のどこかになかっただろうか。その気持が乗客の幽霊を生み出したのではないか。もしくは幽霊の証言を集めた工藤さんが言うように、ドライバーたちの死者を悼む気持ちに死者の魂が呼び寄せられていったのかもしれない。