喪服の色は「白」ということも
石川県や富山県の地域では、喪主が火葬場に行く時に着る喪服の色が「白」であることがあります。
この風習が受け継がれてきた理由ですが、明治以前には喪服の色が白だったことを伝統として受け継いでいるという説が最も有名です。
明治以降には全国的に喪服の色は「黒」という考え方が広まり、今では黒が一般化して白を守っている地域は、石川県をはじめとした北陸地方の一部地域になっています。
喪主が白装束になるのは一般的には和装の場合に限るとされていて、洋装で葬式を行う場合には一般的な服装と同じで黒を着るのが正しいとされています。
もし北陸地方で喪主となることがある場合には、地元の葬儀屋などにどういった服装がいいのかを確認するとよいでしょう。
明治に喪服の色が白から黒に変わったきっかけ
日本における喪服の色が白から黒に変わった理由というのには諸説あります。しかし、ほとんどの説が「明治に変わった」という部分では一致しています。
明治天皇が崩御され、世界各国から参列に来た要人たちが皆黒い服を着ていて、世界に合わせようという考えが広まったというもの。
日露戦争など戦争が激化して、お葬式の回数が大きく増えて、汚れの目立ちやすい白ではなにかと不便で、黒にした方がいいと思われた。
大正の時代に入ると、皇室の正式な条例で喪服の色が黒に指定され、この頃には本格的に黒が基本になったと言われています。
浄土真宗の広まっている地域
石川県は全国的に見ても浄土真宗の割合が高く、浄土真宗の文化が広く深く根付いています。
そのため、葬式の風習やしきたりなども浄土真宗の考え方を知ることで、石川県のお葬式について知ることができると言えます。
香典袋の表書きは「御仏前」
浄土真宗のお葬式で最も有名な違いは、香典袋の表書きに「御仏前」と書くことでしょう。
香典袋の表書きには「御仏前」の他に「御霊前」がありますが、考え方が全く違うため、適していない方を書いて渡してしまうと、大変な失礼に当たってしまいます。
石川県は浄土真宗が多いからと言って、お葬式全てが浄土真宗であるとは限りません。
必ず事前に確認をするようにしましょう。
火葬後すぐに納骨ということも
納骨の際も、菩提寺に収めるために「分骨」を行います。
そして、菩提寺には火葬が終わってからすぐに納骨しに行くこともあります。
これは、浄土真宗が広く深く根付いているため、菩提寺との関係が深い事が理由の一つだと言われています。
後火葬のお葬式を行った場合、その後に納骨を行うため、長い時間動き回ることが求められますので、喪主を務める場合には、体調管理も重要になってきます。