茶道、華道、香道の3つの日本の伝統芸能のことを「三道」と総称している。ここに書道が入る説もあるが、いずれの芸も、今でも趣味や作法の稽古などに習う人がいる。実は、これらはそれぞれが独立した伝統芸能ということではなく、根底には仏教の文化に関わる歴史が共通してあるという。
芸の背景にみえる仏教伝来
華道は、6世紀の仏教伝来に伴って僧侶が仏前に花を供えたところから始まった。その生け花発祥の地とされる六角堂(京都)では、生け花になった花への感謝をこめて1年に1回花供養会が執り行われている。茶道は、修行僧が眠気覚ましのために飲んだり、作法に取り入れたりといったところから始まったとされる。その後、千利休が茶の湯を完成させたのは良く知られた話だ。香道も、仏教伝来と共に、儀式には欠かせないものとして広まった。今でも、法事・法要の席で線香を供香した独特な空間がある。香りによって誘われる仏式の儀式の世界観は実に印象的だ。
因みに書道も、仏教伝来の6世紀に、写経の広まりと共に一気に世に知られるようになった。文字の伝播は情報の伝達速度を早めることにもなり、人々の生活を大きく変える力にもなった。いずれの芸も、仏教の伝承と大きく関係しており歴史はとても深い。
長く語り継がれる「道」
それぞれの「道」が、6世紀まで遡る仏教伝来の流れを受けている。そして今もなお、その伝統が詰まった芸が世に語り継がれていることは、とても意義深いように思える。
「道」とつくのは、探究すればするほど終わりがなく、人としての成長や悟りに向かう道に延々とつながっていることを意味しているからだという。僧侶の修業と同様、芸の稽古にも終わりはないということだ。
例えば茶室1つを例に挙げても、そこでは、華道・茶道・香道・書道のすべてが巧みに混在して表現されながら客人をもてなしている。一期一会のもてなしには同じ答えはなく、常に成長や探究心が求められている。
そして仏道という「道」もある。仏教の悟りに至る修業の過程であり、悟りもまた終わりのない道のりとされている。それぞれの芸の発祥に終着点のない仏道が関係しているとなると、芸の道に終わりがないのはますます頷ける。
無意識の中の仏教文化
一般的に「三道」は、日常的な話題になるなどで注目される機会が少ない。しかし、それぞれの芸の所作が長い時間をかけて今もなお息づいているということは、伝承してきた人たちの努力だけでなせるものではない。
芸を極めるという動機ではなくても、例えば趣味や稽古を通じて興味を抱くという思いも、「道」をつなぐ行動につながっている。それは、私達日本人の生活が、無意識のうちに仏教文化に馴染んできたからに違いない。ただ純粋に、芸に魅せられる。それ自体も、その伝統芸能の「道」を少なからず進んでいるのかもしれない。