先日、夫がふと疑問を口にしました。「これまでたくさんの人が亡くなってきたし、これからもどんどん死んでいくけど、そのうちこの地球上はお墓だらけになっちゃうんじゃないのか?」…確かに。
お墓事情について、わたしはまったく分からないので、ひとまず、まわりの人たちに聞いてみることにしました。
墓石の下の方に扉があり、そこからお骨の出し入れが自由
それで分かったことがひとつ。
お墓については、独身の人よりも圧倒的に家庭持ちの方のほうが知っていました。しかも、すでに自分が鬼籍にはいったときのお墓も決まっていたりします。やはり、お墓というものは、家族や親族と密接に関係しているのだと、あらためて実感しました。
さて本題ですが、その答えとなりそうな返答がありました。
やはりその方も小学生の息子さんがいるお父さんです。最近のことのようですが、実家のある九州からお墓を移したということです。理由は、故郷の方でお墓を守る人がいなくなってしまったからということでした。そのときにちょっとびっくりしたのが、墓石の下の方に扉があって、そこからお骨を出し入れすることだったとおっしゃっていました。だいたい4、5人分のお骨が眠っているそうです。
増えたら、古い順から処分していくそうです
そこでわたしが疑問に思ったのが「どんどん増えてしまったら入らないのではないか?」
聞いてみましたら、数は固定で、それ以上増えたら、古い順から処分していくんだそうです。わたしはそこで「処分するんだ!」と驚きました。と同時に、最初の疑問の答えなのだとも思いました。
答えは「処分」。一族のお墓の中でも一定数を保つことで増やさずに済んでいます。あと、一族が絶えてしまったとき。たしかに今回のリサーチでも「おれはひとりっこで、結婚もしてないし子供もいないから、お墓も守る人いなくなるんだよね」とお話ししてくれた独身男性がいました。
どうやらお墓というのは、維持費を払うことで墓石を風化させないようにしたりするようです。維持費を払う人がいなくなってしまってある一定期間過ぎると、これもまた処分となってしまうようです。増えているようで、実はなくなっているお墓もあるということですね。なるほど、それが答えのようです。
「埋葬」は私達の気持の供養にもなります
余談ですが、数か月前、友人のお父様が亡くなってしまいました。お墓が決まらず、お骨になった今もまだ家族と一緒にいらっしゃるようです。友人とは「お父さん落ち着かないだろうね」という会話をかわしました。
やっぱり「埋葬」は大事なんですね。
個人的にそれを実感するようなエピソードを、また別の友人から聞きました。
友人が大事にしていた飼い猫が死んでしまい、お骨を大事に持っていたそうです。しかしふと「このままではあの子はきちんと天国に行けないのではないか?」と思い、土に還したそうです。それから数か月たったある日、子猫をもらってほしいという話しが来たそうです。そういった話しは多くあるので、断ろうと思ったのですが、その子の写真を見て一転ひきとることにしました。半年前に埋葬した飼い猫の赤ちゃんの頃に瓜二つだったのです。
本当に生まれ変わったかどうかはさておき、飼い主の心のなかは、埋葬でいったん区切りがついたんだろうと思われます。「埋葬」することは残されたわたしたちの気持ちの供養のためにも必要なのかもしれないと思わされた出来事でした。