ときおり、近しい人が亡くなった時に不思議な体験をした、という人の話しを聞いたりすることがありませんか?
たとえば、亡くなった人が会いに来た、とか、新しいはずの鼻緒が切れたので不吉に思ったら誰かが亡くなった、などなど。そのようなお話しはお葬式の場など、人が集まる場所で交わされることが多いのではないでしょうか。
それを「虫の知らせ」と言ったりしますが、筆者は生きてきたこれまでの40年間いちども経験したことがありません。
「虫の知らせ」とは、別名「第六感」とも言われるようですが、これには科学的な解釈がなされています。人間がそれまでの様々な経験から、無意識にそのとき起こった事象に、似たような記憶をあてはめて言い当てている、ということのようです。
しかし、わたしが友人などから聞いたいわゆる「虫の知らせ」のお話しは、すこし「第六感」とは違って、不思議なものが多く、ちょっと怖いオカルトともとれます。しかし、これはその人にとってはごく近しい故人が知らせてくれたもの。怖いというよりは、最期の愛情さえ感じさせるものだと思いますので、ここでいくつかご紹介させていただきます。
会いに来てくれたお父さん
ひとつめは、友人から聞いた、彼のお母様が体験されたお話し。
とある夜更けのことです。すでにもうそのときには、お母様のお父様、友人にとっては祖父にあたりますが、その方の病状が思わしくありませんでした。庭に面した寝室で寝床に入っていたお母様がふと目を覚ますと、庭の方から何か物音が聞こえてきました。
コトッ、ズルッ
コトッ、ズルッ
それは飛び石を誰かが歩く音。そのときお母様は「お父さんだ!」と思いました。なぜかというと、おじい様は足が悪く、常に杖をついて片足を引きずるようにして歩いていたそうです。病床の彼がそんな時間にその庭を歩くはずはなく、お母様は「お父さんが会いに来てくれたんだ」と悟りました。やはりその未明、おじい様はお亡くなりになっていたということです。
呼びかけてくれたおばあちゃん
少し似たような話しで、わたしの先輩が体験した、彼女のおばあ様が亡くなったときのことがあります。
おばあちゃん子だった先輩。小学生のころに、一緒に住んでいた大好きなおばあ様が亡くなってしまいました。お通夜やお葬式で騒がしい我が家。おばあ様のご遺体は、彼女の部屋ではなく、仏壇のお部屋で眠っています。
階段を降りたところにある「おばあちゃんの部屋」をいつもと同じく通りかかったたそのとき。「〇〇ちゃん」と言う声がしました。いつもおばあ様が自分を呼ぶ声です。たしかにいつもそこを通りかかると、そうやって呼びかけてくれたのでした。でもその部屋にはもう誰もいません。「おばあちゃんはまだそこにいるのかな?」と思ったそうです。
迎えに来たおじいちゃん
もうひとつはわたしの元上司のおばあ様のお話しです。これは「虫の知らせ」とは少し違うのかも知れませんが、家族が亡くなったときの不思議なお話しです。
元上司が小さいころ、彼にとっての祖母がお亡くなりになりました。そのおばあ様の夫であるおじい様はすでに鬼籍に入っていましたので、彼女の子どもたちは「天国でお父さんに会えたかな」など涙ながらに見送りました。
そして親族一同でおばあ様の遺影を囲んでの写真撮影。よくあるお葬式での一幕です。その後日、できあがった写真を見て親族一同びっくり。おばあ様の遺影の顔が、おじい様になっていたのです。写真を手にした全員が同じことを言いました。「おじいちゃんが迎えに来たんだね」
素晴らしいお見送りをしてもらった証拠なのかもしれません
冒頭でも述べましたが、こういった「虫の知らせ」といった類いの話しというのはおおよそ、お葬式やお通夜で交わされることが多いと思われます。
親族が一堂に会し、故人を偲んで語られる。そのように見送ってもらえる故人はいかに幸福な生涯を送り、みなから愛されていたと、そう思わざるを得ません。
まったくの赤の他人にも語られていく「虫の知らせ」とは、素晴らしいお見送りをしてもらった証拠なのかもしれませんね。