今から20数年前、結婚式をしました・・・。式をあげてから半年後に長男が生まれ、その半年後に父親を見送りました。この年の1年は準備と後々の処理など非常に疲労困憊したのを覚えています。
さて、20数年前の一般的な結婚式はご媒酌人という仲人がいて、金屏風の前に高砂という席に二人が座って式や披露宴が進行していました。
このような様式は全体の7割~8割を占めていたでしょうか・・・。
今はどうでしょう・・・。ほとんど約9.9割の方がご媒酌人もいないし、高砂なるものもありません。まして金屏風は皆無です。
当時、私は両親を説得して「自分らしい式」としたいとお願いをして、招待状、料理のメニュー、パーティの進行、引き出物などすべて二人で考え準備しました。
当時はめずらしく「こんな披露宴は初めてだ!」と喜んでくれた人や親戚からは「何だこれは」みたいなお言葉もいただきました。
冠婚葬祭式というのはほぼ5年おきに変貌
冠婚葬祭式というのはほぼ5年おきに変貌するという本を読んだ事があります。
父親は何の前ぶりもなく亡くなったので、どうして良いか分からず本当に困りました。
病院から自宅に運ぶのに「どこに連絡すればよいのか」 今でしたらインターネットで調べれば色々とわかるのでしょうけど、当時は葬儀社もどこの、どの葬儀社にお願いすればよいのか分かりませんでした・・・。
偶然の産物かどうかは分かりませんが、遺体を搬送してくれた方が年齢は違いますが、父親と同じ干支と誕生日だった事から、この会社に葬儀をお願いする事になりました。
葬儀を仕切るのは、はじめての事です。先程の方(搬送してくれた方)が担当者になっていただき葬儀に関して準備する事、物や誰が何をやれば良いのかを教えてもらいました。
別な言い方をしますと金額も含めて「葬儀社」の言いなりに準備をしていきました。
父親らしい葬儀
幸か不幸か、斎場の休みと友引などが重なり父親は4日間自宅に居ました。
時間があったので「親父らしい葬儀」が出来ないものかと考え葬儀社の担当者に相談しました。
こちらかの提案に担当者の方は「はじめて事ですが・・・」と前置きして快く引き受けてくれました・・・。
母親や兄弟に相談しなかったので、後で何かあるかもとも思ったのですが、長男の特権という事で進めました・・・。
父親はこよなく日本酒を愛していたので、祭壇の花の間に、よく飲んでいたお酒を並べ、親父の子供のころから亡くなる2ヶ月前、小樽に母親と旅行した写真を映像化し、「我が人生に悔いなし」の音楽のせてスクリーンで上映しました。
今でも忘れないあの言葉
会場のほとんどの方が「はじめて経験した」と、通夜、告別式でお世話になった宮司さんからも「良かったですと・・・」とお言葉をいただき、そして何よりも葬儀社の担当者の方が自ら司会を申し出ていただき、式の最後に仰って頂いた言葉があるのですが、このことは20数年経った今でも忘れません。
人には思い出がある
人と人との思い出が
時は去り 日はうつろいて
ひとつの生涯流れ行くなり
今は亡き かの人の春夏秋冬は
残されし 送りし人の
心に有りて いつまでもいつまでも
生き続けるものなり
これからは自由葬の時代
今では「家族葬」は当たり前の時代になりました。
ある葬儀社の方の話では、これからは「自由葬」の時代が必ず来ると仰っていました。
今でも友達達が仕切って葬儀を行っている事例もあるそうです。
「野球葬」「サッカー葬」「音楽葬」「舞台葬」など実際にあるそうです。
「舞台葬」などは葬儀会場一面に雪を降らしたそうです(葬儀社社長壇)
いままで葬儀社さんは、祭壇やお棺、花など、物を提供してくれました。
これからはサービスを提供する時代になるかもしれませんね・・・。