北枕で寝るものではないという。北枕は不吉だと昔から言われてきた。現代では徐々に失われつつある風習であるし、迷信の類と一蹴する人もいるだろう。しかし仏教を含む宗教の教えと方位・方角は切っても切れない関係にある。

釈尊の入滅作法と極楽往生の方角
頭を北側に向けて寝る北枕は不吉とされ日常生活のタブーとされている。葬儀などで遺体を寝かせる方向が基本的には北だからだ。遺体が北向きということは今、どこかで誰かの遺体が同じ方向で寝ていることになり、死者と同じ方向を向いて寝るのは縁起が悪い、不吉だとされた。なぜ北向きか。仏典や釈尊入滅の様子を描いた涅槃図などでは、釈尊は入滅の際に沙羅双樹の下で頭を北向き、顔を西向き、右脇を下にして横たわったと伝わっている。これを「頭北面西右脇臥」という。遺体は西を見ることになり、そこは「西方極楽浄土」の方向である。釈尊は極楽浄土へと往生したのである。このことから遺体の頭を北向きにする風習が広まった。この由来通りなら、元々は極楽へ向かうために顔を西に向けることこそが本義で、必然的に頭が北になっただけなのかもしれない。だが現代では北枕は変わらないものの、顔を西に向けることは少なく、上向きにして白い布をかけるのが一般的な作法のようである。
浄土宗の方位信仰と鬼門封じ
浄土系仏教では極楽浄土は西にあるとされることから、仏教の中でも特に方位・方角に関する関係が深いといえる。浄土宗では本尊によって方位を変えることを「以信転方」という。本尊が阿弥陀仏の場合は建物の実際の方向に関係なく、本尊を祀る方角を「西方」とみなし本尊は「東向き」ということになる。釈尊の場合は「東方」、宗祖・法然や開山(寺を開いた僧)などの場合は実際の方向通りにする。道場洒水(どうじょうしゃすい)の場合は、これに基づいて作法を行う。道場洒水とは、法会に先立ち堂内を清浄にする作法で、加持をした香水で四隅を浄める。浄める順番は東北から始めると決まっているという。なお法然の弟子、親鸞が開いた浄土真宗では北枕は迷信であると否定している。
方向にまつわる信仰で最も知られているのが鬼門だろう。東北を指し「艮(うしとら)」ともいう。鬼が出入りする方角とされ、桓武天皇が平安京に遷都する際、最澄に命じて建立させた鬼門封じの寺が比叡山延暦寺である。また京都御所の塀の東北には大きいへこみがありら、軒下には災い除けの彫像がある。これも鬼門封じの呪いである。鬼門は陰陽道に由来するものだが、桓武帝はこれを防ぐのに仏教を選んだ。仏教には強力な力があるとされていた。
中国や風水に見る北枕の肯定的な側面
仏教伝来以前の古代大和王権でも、王や貴族の石室を北に向ける風習があったようである。古代中国の文献には「生者南面、死者北面」という記述があり、死者を埋葬する際には頭を北の方に向けると記載されており、仏教以前に中国の思想の影響があったのではないかと推察される。中国では北に向けると死者が甦るという話も伝わっており、インドでも釈尊にあやかってむしろ北枕を好むなどの話もある。また風水ではむしろ開運につながる縁起の良い方角だとされているので、日本だけが北枕が不吉とされているようである。
釈尊の作法がタブー化した真の要因
こうしてみるといずれの場合でも北枕に不吉な要素はないように思える。「頭北面西右脇臥」は、いわば釈尊自らが示した極楽往生の作法といえる。そのような霊験あらたかな作法が、生者が行うなひ不吉だとされるようになったのは、仏教が伝来した後の神仏習合の過程ではないだろうか。日本古来の信仰では死は最大の「ケガレ」である。日本人は死を新たな旅立ちとして捉える他界観を有していなかった。おそらく釈尊入滅の様子を「ケガレ」として嫌った神道的発想で解釈されたのかもしれない。これは極楽往生の思想が根付いた後でも同じことで、死後往生するのは良いが、だからといって今はまだ死にたくはないという正直な感情を表している。
現代日本人の「なんとなく教」の信仰と平和な向き合い方
結局のところ北枕そのものには宗教的な意味があるものの、不吉・タブー視については意味が歪曲された結果である。現代の仏教各派は北枕については気にしてもしなくてもよいとするスタンスであるようだ。元々負の意味はないのだから当然であるが。そして時代は令和。北枕に拘る人も少なくなり、北枕自体知らない世代も増えている。それでも「なんとなく」憚れるのは、日本人が特定の宗教信仰はなくても、そうした存在が「なんとなくいるような気がする」教の信者が多いからだろう。唯物論になって敬虔な心を失うことはなく、逆に信仰が暴走して宗教戦争を呼ぶこともない。最も平和的な宗教への向き合い方といえるかもしれない。