突然ですが、私は数年前、両親を立て続けに亡くしました。
夫婦仲の良かった夫婦だったからでしょうか、母が他界して丁度1周忌を終えた、翌月のちょうど月命日に、父は眠るように亡くなりました。愛する妻を追って、旅立ったのでしょう。
今は夫婦仲良く、同じお墓で安らかに眠っています。
多くの人に見送られ幸せな母。しかし・・・
社交的だった母は生前、自分が死んだ後は、大好きな美しい花々に囲まれながら、多くの友人や知人、愛する人々に見守られて旅立ちたい、と常々言っていました。そんな母のささやかな最期の願いを叶えるべく、母の親友や友人数人に母が他界したことを告げると、あっという間に母の友人・知人・近所の人々に知れ渡り、母の望んだ盛大な葬儀になりました。
母の思い出話を泣きながら教えてくれる母の友人・知人。それはそれでとても暖かく、有難く、母は良い人生を送ったのだなと、嬉しくも思いました。しかし、ほぼ実質葬儀一切を取り仕切る私は、葬儀会社への連絡や相談、お悔みに来て下さる方々への対応、礼状や返礼品、精進落としの料理や飲み物が足りているかの確認など、様々な雑事で忙殺され、結局母とゆっくり最期のお別れをすることなく、気が付けば四十九日。今思えば、最期にゆっくり母と語り合いたかった・・・そう思う気持ちがありました。
せめて父の葬儀は身内だけで送りたい。それって我儘?
そんな慌ただしい母の葬儀から1年後、今度は父の葬儀を出すことになりました。父は昔ながらの技術者のため、割と寡黙で非社交的。第一線を退いた後は、母と穏やかな日々を過ごしていました。そんな父は生前、『おまえたちさえ居てくれれば、簡単な葬儀でいいよ』と言っていました。
父が他界した話は、どこから伝わったのか近所中に広まり、父の知人や近所の人、母の友人などが『葬儀はいつか。どこで行うのか』を聞いてきました。父の葬儀では今度こそ、ゆっくり最期のお別れをしたい、と思っていた私は『家族葬』という形を取り、ご近所や知人など、あまり父と深く交流が無かった方々には、今回はご遠慮頂くことにしました。
まだまだ田舎である実家では『水臭い』とか、『我儘だ』『常識が無い』など、様々なことを言われました。しかし、本当に父と親しかった方や親族だけで、静かに愛する父を送れたことは、決して後悔していません。心から父を弔えた、本当に良い葬儀だったと今でも思っています。
最も大切なことは、故人を心から弔うことが出来たかどうか
葬儀の形は様々で、密葬、直葬、音楽葬など、一般的ではない葬儀も多々あります。葬儀の形は違えども、大切なのは故人を心から弔い、大切な思い出を胸に暖かく送り出すこと。2つの葬儀を通して、そんなことを学んだ気がしました。