日本では、子どもや若者にも、「三途川」という川がこの世と死後の世界の境界を流れている、というイメージがよく知られている。また西洋でも、例えばキリスト教以前の古代ギリシャ神話では、この世と死後の世界を川が隔てている、というイメージがある。このように、この世とあの世の境界線は「川」であるというイメージは、洋の東西を問わず、幾つかの地域にある。
ところで、この「この世とあの世の境界線としての川」は、特に東アジアの場合は、古くは「海」だったのではないか、という説もある。
水葬が行われた理由もあの世は海の向こうにあると考えたからかもしれない
「死者の住む異界」は、日本列島では、海の向こうにあるというイメージで語られることが、何度となくあった。
例えば近世に、現在の和歌山県・三重県に当たる熊野地域では、補陀落山寺の住職を中心とした人々が海に水葬された。これを「補陀落渡海」という。水葬としての「補陀落渡海」は、海の向こうにあるとされる死後の世界「補陀落浄土」に、死者を送り出すという意味があった。
また、前近代には「日本」ではなかった沖縄文化圏では、海の向こうにあるとされる死後の世界として、「ニライカナイ」が信じられていた。
こうした、死後の世界が海の向こうにあると信じられた文化では、当然、「この世とあの世の境界線」は、海となる。この「この世とあの世の境界線としての海」イメージが、後世いわゆる「三途川」になったのではないか、とする説もある。
副葬品にも海を渡るための船を模したものが発見されている
そして、「この世とあの世の境界線」を海とする(あるいはそのイメージが残っている)信仰では、死者が死後の世界への旅をする際に必要なのは、「“三途川“の渡し賃」ではなく、「自前の船」であるとされることがある。特に上流層の人々の葬儀では、それがよりわかりやすい形でみられた。
実際日本では、古代の古墳から、船型の棺や船で航海している光景を描く壁画が出土したケースが、幾つか報告されている。なお、中国のいわゆる地方部では、多くの地域で、この船型棺が今も使われている。
日本に話を戻すと、そもそも棺の古い呼び名の一つが、「フネ」だったという報告もあり、貴人が亡くなった際の入棺を、「おふねいり」と呼ぶ表現もある。また、茨城県北部〜中部では、葬儀の世話役を、船人(ふなうど)と呼ぶしきたりがあった。
海外の一部でも、あの世は海の向こう側と考えていたかもしれない
なお、イギリスの東部サフォークには、600年前後にこの地域を支配していた王の墓とみられる、サットン・フー墳墓群がある。そこの最大の墳墓には、長さ27m余りの木造船がそのまま埋められ、その船の中央に棺が納められていた。
このサットン・フーの例も、船の中央に棺が納められたことから推すと、死者が死後の世界に渡るための船であると考えられる。当時のイギリスでも、「死後の世界は、海の向こうにあると信じられていた可能性が、高いといえる。
参考文献:天皇と葬儀 日本人の死生観、 葬送習俗事典 葬儀の民俗学手帳、 古墳とはなにか 認知考古学からみる古代、 中国の伝承曼荼羅