江戸幕府2代将軍徳川秀忠夫人であり、3代将軍家光の母であった江姫の葬儀と埋葬についての記録には、日本の葬儀・埋葬文化史の点で、非常に興味深い報告がある。
江姫といえば、有名な浅井3姉妹の末娘であり、近年大河ドラマの主人公になったこともあって、歴史、特に戦国史ファンの方々には知名度のある人物の一人である。
しかしながら、彼女の葬儀と埋葬は、実は日本の葬儀・埋葬文化史の点でも興味深いということは、残念ながらほとんど注目されてはいないようである。
当時は珍しかった火葬を強く望んだ江
江姫は1628年に亡くなり、火葬されることを望んで叶えられた。なお、当時の江戸では支配者層でも庶民層でも、火葬は「非一般的な」葬法であった。現に彼女の夫・秀忠は土葬されている。だからこそ、多くの記録の中で、彼女が火葬されたことに言及されたわけである。
しかし江姫がなぜ火葬を強く望んだのかは、記録されてはいない。何らかの「大切なお宝」を愛し独占したい余り、一緒に焼いて欲しいと願ったわけでもないようである。従って、火葬を望んだ理由は、結局彼女本人にしかわからない。
ただ可能性として考えられることの一つには、江姫は個人的に浄土真宗(当時は「一向宗」)を信仰していたため、火葬を望んだのではないかということがある。徳川歴代将軍は、初代将軍家康を始めとして、浄土宗を信仰していた。勿論、江姫の夫秀忠も同様であった。
その理由は信仰していた宗教にある?
浄土真宗では、他の宗派の日本仏教に比べ、死を「穢れ」としてタブー視する傾向が少ない。早くから火葬率が高かったのも、一つには、火葬の煙を穢れとはしない信仰のためである。また、いわゆる神仏習合的な信仰も、浄土真宗には余りない。
そのため、浄土宗の信者であった徳川歴代将軍夫妻が、「悪臭や“穢れた煙”の発生源になる火葬は、死後“神”となるべき将軍夫妻にふさわしくない」などの理由で火葬を忌避した一方、江姫だけはその信仰を共有しなかったということも、考えられる。そういえば、江姫は一向宗の勢力が強く、現在も浄土真宗が一般的である北陸地方の出身であった。
間違いないのは徳川家とは死生観を共有していなかったこと
江姫は、自分が火葬される際の煙が「穢れている」とは、考えてはいなかったようであり、彼女の葬儀・埋葬に至るまでを司式した僧侶たちも、江姫と同じように考えていたふしがある。実際、彼女の火葬の際に煙がたなびいた方角の土地が、葬儀を司式した複数の寺院に贈られて、それらの寺院はこの地に移転している。
しかしながら、江姫の葬儀を司式した僧侶たちのいたそれらの寺院は、ことごとく浄土宗の寺院であった。そのため、彼女が本当に一向宗を信仰していたとは、断言はできない。
ただ、江姫が個人的に、徳川家とは死生観を共有していなかったということは、ほぼ確実であろう。徳川家と死についての信仰を共有していたなら、火葬を強く望むことも、自分の遺体を火葬する際の煙が、「穢れてはいない」と信じることもなかったに違いない。
参考文献:江戸の町は骨だらけ、 江戸と東京の坂―決定版!古地図“今昔”散策