近年はいわゆる和型墓石に比べ横長型の洋型墓石や、オリジナルデザインの可能なデザイン墓石の人気が高まっている。
ところでそうしたいわば“現代型”の墓石に対比して、和型墓石はしばしば「昔ながらの」「伝統的な」タイプの墓石だといわれている。
近代に入って始まった文化や慣習は多い
しかし本当にこの和型墓石は「昔ながらの」デザインなのだろうか。
これは日本だけでなく他の国でも共通する文化的傾向であるが、「昔ながらの」「伝統的な」とされている品物やしきたり・芸能や行事などで、且ついかにもその国に古くからあって広く親しまれているもののようなイメージを与える物事が、実は近代に入ってから始まったり一般的でなかったものが一般化したものであることが実は多いということが指摘されている。
そして「縦長の立方体の和型墓石」(角柱型石塔)についても、実はそれが当てはまるのである。
そもそも石の墓標を建てるようになったのは戦国時代
そもそも日本で庶民階級の人々が墓に石の墓標を建てるようになったのは過去にさかのぼっても戦国時代(1500年代)以降であり、その当時は現代でいうところの「先祖代々の墓」という概念は存在しなかった。
この頃に(上流階級の人々も含めて)一般的であった墓石デザインは墓の主や遺族が信仰している宗派により若干異なるが、舟形(これは後光を表現している)で仏像のあるものや五輪塔タイプ、五輪塔のレリーフの中に墓碑銘のあるものや板碑型のものなどであった。
徐々に庶民にも広がり始めた江戸時代
江戸時代に入ると、大きな戦いが無くなったこともあって社会が政治的にある程度安定し、経済的にも成熟の域に達してきたため庶民階級でも墓標を建てることがより一般化した。
この時代には仏像のあるタイプはやや廃れ、石碑タイプの墓石が多く建てられている。また、この頃に墓石に夫婦の戒名を刻む形式のいわば夫婦墓も登場している。これは筆者が以前実際に見た例であるが、筆者の記憶が正しければ江戸後期に活躍した作家曲亭(滝沢)馬琴と彼の子息の墓がそれぞれ独立の夫婦墓タイプであったはずである。
和型墓石は幕末から明治と言われており、まだまだ歴史は浅い?
現代でいう和型墓石(角柱型石塔)が登場したのは早くとも18世紀半ば以降であり、メジャーになったのは幕末期から明治期以降であった。
そして更に言うと、戦国時代頃には「先祖代々の墓」の概念はまだ存在しなかったことは先述した通りだが、その「先祖代々の墓」の概念が確立して一般化したのも実は近代に入ってからである。
日本の伝統的な家族イメージは親子のような縦軸を中心とする先祖代々の「イエ」の単位であり西洋の伝統的な家族イメージは夫婦単位である、というイメージが強いが、この墓石に刻まれた墓碑銘と墓の制度の歴史を見る限りでは、一概には言えない面も多々あるといえよう。