筆者の友人Mは中学や高校の同窓会・クラス会の類いには、殆ど出席をしない。
先日、その友人Mと久し振りに会う機会があり、彼から偶然、その理由を聞くことができた。なんでも彼の中学高校時代の親しい友人のほとんどが若くして「不慮の死」を遂げてしまっていたのだ。
彼らのことを思い出すと非常に辛いということだった。
幼稚園から高校まで同窓だった友人
中でも高校の場合は出席簿順、彼の前後三人が亡くなっているというから驚きだ。Mと会った頃はちょうどマスメディアで「胆管がん」に侵され、若くして亡くなった某有名女優についての報道が加熱していた時期でもあった。遺されたパティシエの旦那様が会見で「ワイン葬をやりたい」旨を話していた。
Mがプライベートで深刻な話をしてくれたのは、このような報道も影響があったのかもしれない。加えて、Mは前述の3人の友人のうち、なんと幼稚園から高校まで同窓だったという友人の葬儀についても話してくれた。
逆縁による葬儀の雰囲気…
20代で亡くなったのでいわゆる逆縁(年少者が先立つこと)だ。逆縁は悲しみが深いと言われるが、この友人の場合も例外ではなかった。
告別式での、特に母上の取り乱し方は激しく、大勢の参列者の面前もはばからず、Mに向かって「M君、立派なお花どうも有り難うね」と絞り出すように言葉を出してお礼を言っていた姿が未だ目に焼き付いているとMは言う。
実を言うとこの友人の家では1ヶ月ほど前に、友人の祖母が亡くなったばかりだった。どちらの葬儀にも父上の会社関係者の多数が線香を上げに来た。Mの脇では、「今日は厳しいな。この間の時と全然雰囲気が違う」と隣の同僚へ囁く者もいた。
遺された人たちに少しでも安らぎを与えるための葬送もいいかもしれない
告別式も終わり、火葬場から帰り散会になったとき、友人の父上がMを含め親しい友人3人に声をかけた。
「品のいい雀荘があるから、やらないか?」と声をかけたのだ。いまから30年以上も前はいたるところに雀荘があったものだ。夜中までやる羽目になった。勝負の結果は、父上の大勝。八百長でも接待でもなく正真正銘の勝利であった。
今から思うに、これはまさしく「麻雀『葬』」ではなかったか。逆縁からくる深い悲しみをいやすこれくらいのことが必要なのだ。
私たちも一生に一回の葬儀だ、家族にそれとなく生前に◯◯葬の注文をつけておいてもいいかもしれない。