モーツァルトの代表的オペラ「魔笛」には、秘密結社「フリーメイソン」の思想に基づく秘儀が込められているという。多分にオカルト的な都市伝説がはびこるトピックだが、死と再生を暗示する神秘的な思想そのものについて考えてみたい。
物語の裏側に潜む「密議」の影
モーツァルト(1756〜91)のオペラ「魔笛」は大まかなストーリーこそ王子が姫を助けに行く楽しいファンタジーだが、意味不明な場面や演出が多く、荒唐無稽な作品と評されることが多い。、「夜の女王のアリア」「パパゲーノとパパゲーナの二重唱」などの名曲を楽しむ作品で、ストーリーをまともに解釈する必要はないと言われることもある。それもそのはずで作品の依頼者であり脚本を書いたエマヌエル・シカネーダー(1751〜1812)が様々な作品から流用した挙句、かの秘密結社フリーメイソンの密議を反映した内容を組み込んだことで辻褄が合わなくなってしまったのである。作品の前半は王子が姫を救出する冒険譚だが、王子に試練が課せられる後半では、フリーメイソンのイニシエーション(儀礼)が明確に描かれている。シカネーダーも、そしてモーツァルトもフリーメイソンのメンバーだったことは史実であり、モーツァルトは魔笛でフリーメイソンの秘密を公開したことで暗殺されたなどの都市伝説が生まれた。
石工ギルドから哲学的思想集団へ
フリーメイソンは中世ヨーロッパで大聖堂や城塞建築に従事した石工たちの職人ギルドであった。17世紀後半から、実際に石を削らない貴族や知識人が「哲学的な石工」として加入し始めるようになった。メイソンの有名なシンボルにコンパスと定規がある。石工たちは道具と幾何の知識を用いて設計図を描いた。幾何=数学は現実には存在しない世界を扱う(線に太さは存在しない)。そこに世界の本質「イデア」を見出したプラトンの学校アカデメイアの門には「幾何学を知らざる者、くぐるべからず」と書かれていたという。貴族のメイソンたちの間でも、石工の道具・建築は象徴と化し、実際の建築から道徳・哲学の向上を目的とするようになった。石工ギルドが哲学・思想集団に変貌していったのである。これが現代に続くフリーメイソンの原型である。メイソンの思想には古代エジプトの神秘思想や、中世ヨーロッパを席巻した薔薇十字団の思想などの要素が加わり、独自の密議が行われるようになった。とはいえ、入団にあたっては特定の教義は強制せず、むしろ何らかの信仰を持っていることが条件だという。また薔薇十字団的な高度にオカルティックな儀式も行っていないようだ。だがそうした多神教的な教義からカトリック教会から異端視されるようになり弾圧されて地下に潜ることになる。こうしたことから、様々な「世界を影で操る秘密結社」といった陰謀論や都市伝説が数多く生まれることになった。だが実際は神秘思想に傾倒する知的階級による友愛団体、啓蒙団体といったところのようである。
「ヒラムの伝説」と三つの試練
フリーメイソンでは深い哲学的洞察や、古代からの神秘思想の影響を通じて、死はすべての終わりではなく、真理(光)に到達するためプロセスであるとされた。その儀式には「死と再生」を強く象徴する要素がある。これはメイソンの中心的な寓話である、ヒラム・アビフの伝説に基づいている。ヒラムはソロモン王の神殿を建築した伝説上の職人。ある日、3人の悪漢が「親方(Master)の秘密の言葉」を強要しようとするが、ヒラムは秘密を明かさず殺害される。儀式では3階級の最高位「親方」に昇進する際、候補者をヒラムに見立て、その殺される顛末を疑似体験するための物語が演じられる。候補者は象徴的な死を演じて倒れ、引き上げられる。この「引き上げられる」行為が再生・復活を意味するという。つまり物理的な「死」に一度置かれ、そこから引き上げられることで、古い自分(世俗的・物質的な自分)を捨て、新たな精神的な存在として生まれ変わることを意味する。そして候補者は親方として“再生”するのである。「一度死んで、新しく生まれる」一連の儀式を通じて参加者は、魂の不滅を体感する。「ヒラムの儀式」は精神的な成長を促すイニシエーションである。
「魔笛」には3人の侍女、3人の少年、3つの試練、序曲の3つの和音など、「3」を強調する場面が随所に見られる。フリーメイソンでは、基本3原則(自由・平等・友愛)、3段階の位階(徒弟(Entered Apprentice)、職人(Fellow Craft)、親方(Master Mason)など「3」が神聖視されており、そのことに倣ったものだとされる。
このうち王子と姫に課せられる3つの試練「沈黙の試練」「火の試練」「水の試練」の中でも、特に火と水の試練は、「象徴的な死と再生」を表現している。「魔笛」はフリーメイソンの秘儀を、大衆に音楽と物語で体験させる啓蒙作品と言えるだろう。当時のカトリックによる弾圧下において、モーツァルトとシカネーダーは寓話風の娯楽作品という体裁で、メイソンの思想を大衆に伝えようとしたと考えられている。
光への帰還:生を実感するための「一度限りの死」
モーツァルト=フリーメイソンの神秘思想において死は単なる終わりでなく、再生と一体の概念である。タロットカードの13番「死神」はそのままの意味だが、これが逆向きに現れると再生の意味になる。死の暗闇から生の光への帰還というモチーフは神秘思想ではよく用いられる。儀式魔術団体「黄金の夜明け団」の参入儀礼でも、入門者は目隠しをされ儀式場で外される演出があるという。また日本でも浄土真宗の異端とされる「隠し念仏」の儀式「オトリアゲ」では、闇から光への演出がされる。「タスケタマエ」を連呼する信者に鏡を使って光を照らすというものである。
これらは死が終わりではなく再生への一歩であると同時に、そもそも今「生きる」「生きている」ことを自覚させるためかもしれない。一度闇に落とされ光を与えられることで、自分は生きていると実感する。それはこれまでの自分が死に新たな自分として再生されたことに他ならない。死ななければ再生はできない。死は滅びではなく、新しい自分に生まれ変わるための通過儀礼なのである。
啓蒙の劇から、神への帰依へ
ここまでフリーメイソンの死と再生の思想を概観した。だがモーツァルトは自らの死を迎えるに至り心境を大きく変ったとみられる。モーツァルト最後の作品「レクイエム」は、カトリック教会の典礼文(礼拝や葬儀などで用いられる定型文)に基づいたもので、死と再生を劇的に表現した「魔笛」と、対照的に静的・内省的な印象を与える。メーソン思想を大衆に伝えるための「魔笛」は儀式をする側だったが、「レクイエム」は儀式に参入する側に自らが置かれた、つまり自身が死に直面したモーツァルトの神への帰依が表現されている。リアルな死に接したモーツァルトは、哲学的な死の概念では救われず、ただひたすら神の慈悲にすがったのかもしれない。それは深遠な哲学や難行としての仏教が、無知な民でも救われる易行としての仏教へと変わったことを思い出させる。
参考資料
■北原博「モーツァルト『魔笛』と18世紀フリーメイソンの古代密儀イメージ(PDF)」『北海学園大学学園論集』147号(2011)
■深澤克己「秘儀伝授における死の象徴性―モーツァルトの『魔笛』をめぐってー」『死生学 DALS ニューズレター』No.28 東京大学大学院 人文科学研究科(2011)
■片桐三郎「入門 フリーメイスン全史」文芸社(2021)



























