先日からご紹介しております「霊園さんぽ」のコラムも今回で最後の第三弾です。今回は青山、雑司ヶ谷ときて、皇居の周りを三角で囲うように位置する谷中霊園をご紹介します。
谷中霊園に眠る著名人とは?
谷中霊園はJR西日暮里駅北の高台に位置する霊園です。敷地面積としては他二つの霊園と比べると小規模ですが、他には負けない大物たちが今も眠っています。彼らが生きた時代の幅も広く、江戸から戦後までの著名人が揃っています。では、早速ご紹介いたしましょう。
江戸幕府最後の将軍「徳川 慶喜」
こんなところに眠っていていいのか、とびっくりするような江戸幕府最後の将軍です。しかし二条城で大政奉還を終えた後、彼は将軍という重荷から解放され、余生を楽しく趣味の写真とともに過ごしたと言われています。そんな彼のお墓はもちろん将軍家ですから、菊の家紋の入った門まで用意されています。都内で見られる将軍家のお墓はおそらくここだけでしょう。
(photo by wikipedia)
ロシア正教の聖職者「ニコライ」
明治の初め日本に伝道にやってきたロシア正教の聖職者ですが、実は「聖人」と呼ばれるほど高貴な方だったのです。「ロシア正教」という言葉ではあまり馴染みがありませんが、都内の有名な建物にまつわる人物です。JR御茶ノ水駅から皇居の方へ南下する途中にある大きなドーム屋根を持った聖堂の建物、「ニコライ堂」を建てたのが彼です。意外なところに関わる人物、此処に在り、といったところでしょうか。
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第一銀行(現みずほ銀行)を設立した「渋沢 栄一」
彼は、明治の日本において第一銀行(現みずほ銀行)を設立し、その後も走り始めたばかりの日本経済を引っ張っていったことで有名です。第一銀行の他にも、帝国ホテル、サッポロビール、東洋証券取引所の設立にも関わり、この人抜きでは日本の近代化はあり得なかったとも言われています。
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日本を代表する民法学者「穂積 陳重」
弁護士など少しでも法律を勉強したことがある人なら誰もが知る日本を代表する民法学者です。彼が起草した民法は150年近く経つ今でも根本的に変わらないまま受け継がれています。それだけに彼の緻密な思考による英知の結晶が現代の我々の生活を支えていると言えるでしょう。また意外なことに前述の渋沢栄一と穂積陳重は義理の親子というつながりを持っていました。
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近代日本画壇の巨匠「横山 大観」
歴史の資料集で彼の『無我』という作品を見たことがあるのではないでしょうか。寂しげな目をした幼子が一人立っている日本画です。そんな巨匠と言われた彼も当初この絵は大不評で、国内では相手にしてもらえませんでした。それでもめげずに海外を巡り、評価された彼からは、天才と言われながらも裏には並々ならない努力が伝わってきます。
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3度の総理大臣を歴任した「鳩山 一郎」
現代の政界でなにかと目立つ鳩山家、そんな鳩山由紀夫氏・邦夫氏の父の墓が谷中にはあります。彼は戦後日本で時代の波に揉まれながらも3度の総理大臣を歴任した、今や教科書にも載るような歴史的政治家です。しかしこのお墓が建てられた当時は、お墓自身が生前の彼に対する政治批判の的となり、粗末な扱いを受けていました。これも時世を活躍した政治家であるからこそ、避けては通れぬ道なのかもしれません。
(photo by wikipedia)
最後に
以上、谷中霊園に眠る大物の方々をご紹介しました。谷中霊園の特徴は敷地面積が狭い分お墓の数が少なく、したがって著名人のお墓が大きく目立つため見つけやすいことです。是非一度訪れてみてください。
さて、3つのコラムを通して都内の著名人のお墓をご紹介しました。普段何気なく通り過ぎているところが実は穴場スポットだったということは、みなさんの経験上あるのではないでしょうか。そう言う意味で今回の一連のコラムが少しでもお墓を明るく、楽しめるものと捉え直す良い機会になれば幸いです。