自殺の方法の中でも焼身自殺は最も苦しい死に方とされる。これに一見似た焼身による自決行為を、仏教では「焼身供養」といい非常に尊い行為だとされた。仏教、宗教と自殺の関係とは。

世界を震撼させた自決 僧侶による焼身抗議と不殺生戒の論理
仏教の僧侶による焼身自殺は現代でも世界各国で断続的に報じられている。1963年に起きたベトナムの僧侶、ティック・クアン・ドック(釈広徳)の焼身自殺は世界に衝撃を与えた。当時の政府による仏教迫害に対する抗議の自決とされ、蓮華坐(結跏趺坐)を保ったまま揺るぎもせず凛として燃え尽きた。ピューリッツァー賞を受賞した、この様子を捉えた写真には静謐さが満ちている。検索すればすぐに出てくるが、注視に耐えないものではない。合成ではないかと思えるほどだ。こうした僧侶の焼身自殺の事例は個人的な理由による逃避行為、自己破壊衝動などではない。独裁政権による迫害や、チベット問題など人権侵害に対する抗議の自決であることがほとんどである。自殺者は個人的な苦しみから、この世に生きていたくなくて死を選ぶと思われるが、僧侶たちは仏法に基づいて、衆生のために身を犠牲にする。とはいえ、志はともかく行為自体は焼身自殺であることに変わりはない。仏教の基本である「不殺生戒」に背く事ではないのかとの批判もある。だがこれは「焼身供養」と呼ばれる行為で、経典の王と呼ばれる「法華経」では最上の「菩薩行」「布施行」とされている。「抗議」とは書いたが、ティック・クアン・ドックも単に政府への当てつけのために死んだわけではない。仏教では「焼身供養」といい最上の功徳とされた行為である。
最上の功徳 『法華経』薬王品が語る焼身供養の起源
「焼身供養」は「金光明経」など仏典の至る所に見受けられるが、最も知られているのは「法華経」第23品(章)「薬王菩薩本事品」だろう。薬王菩薩の前世である一切衆生喜見菩薩が、仏によって悟りを得たことへの感謝と供養の意を込めて、自らの体に火をつけて燃え尽きたという物語である。あまりの喜びと感謝に報いるためには自らを捧げる以外にはないというのが焼身供養に至った理由である。喜美菩薩の身体は1200年間燃え続け、世界を照らす光明となっていたという。菩薩はその功徳で再生を果たすが、そこでも両腕を燃やして供養し、膨大な数の人たちを悟りに導いたとされる。 仏は焼身供養こそがすべての供養の中で最上であるとその功徳を讃えた。釈尊は悟りを得たいと思うなら、この菩薩のように手足の一指を燈明にして仏塔を供養せよ、と述べている。「一指を燈明として」というところは「燃指供養」と呼ばれ、中国では時の政府がしばしば禁止令を出したほど行われていた。
焼身供養は日本でも行われている。平安時代に法華経の行者・応照が薬王品に感銘を受け火定行に入ったという。火定とは生きながら身を焼いて浄土へ往生するという行である。この火定が日本初の焼身往生とされている。
自己犠牲の究極形 悟りへの感謝と「菩薩行」としての焼身
だが筆者のような凡俗には薬王品を熟読しても、歓喜と感謝から「焼身」に至る理由が唐突過ぎてよくわからない。密教には煩悩を焼き尽くす「智慧の炎」という表現があるが、薬王品の内容も信仰の厚さを表現した比喩ではないだろうか。とはいえ、自ら死を選ぶ行為は仏教では「捨身」として尊ばれていることも事実である。宗祖である釈迦からして前世で飢えた虎に自らを与えたという説話「捨身飼虎」が広く伝わっている。同じく釈迦の前世譚として自ら火に飛び込み飢えた人に捧げた兎の話も有名である。これらを起源として仏教では自己犠牲による他者救済の行為を「菩薩行」と呼ぶ。臓器移植をめぐる問題でも「菩薩行」が話題になった。法華経が最大の供養として最も苦痛とされる焼身を選んだのは、自己犠牲の究極たる菩薩行を満たす手段として相応しいとされたからかもしれない。焼身供養は、当の本人は既に悟っている「菩薩」であり、生死を超越しているので、世を儚む「自殺」とは意味が違うとされる。彼らは自らの死をもって万人に光を照らそうしたのだ。
宗教と倫理の相違 焼身供養に見る人知を超えた価値観
宗教というと自殺を禁じるイメージがないだろうか。命を大切にすることは倫理の大前提だからだ。私たちはつい双方を一緒にしがちである。高校の授業でも宗教は「倫理」の時間に教えられている。だが宗教と倫理は違う。僧侶・宗教哲学者の清沢満之は「倫理以上の安慰」を語った。法律と共に人間社会の秩序を形成するのが倫理なら、宗教は人知を超えた価値観を提供する。それ故にオウム事件のような悲劇を生むこともあるが、この世の価値観を超越することで、この世を生きていける力を与えてくれる。繰り返すが、焼身供養は悟りを得た「菩薩」といってよい高僧が行う。万人に推奨される行為ではないことは強調しておきたい。
参考資料
■鎌田茂雄「法華経を読む」講談社学術文庫(1995)
■大角修「全品現代語訳 法華経」 角川ソフィア文庫(2018)
■車相燁「仏教と自殺問題―焼身自殺をどう見るのか―」『大正大學研究紀要』大正大学(2015)
■岡田真水「薬王菩薩本事譚と日蓮の燃身供養観」『日蓮学』第3号 国際日蓮学研究所(2019)