平安時代。徐々に仏教色が強くなりつつあった日本ではあったが、依然として死は穢れであるとされ、人が亡くなる場面に居合わせることや亡くなった人に触れることは忌み嫌われることであった。宮中や貴族の家では、死期を迎える人が別宅に隔離され、そこで息を引き取ることが普通であったという。では、死へと近づく人間は大切な人にもう一度逢いたいと願ってはいなかったのだろうか。今回は、平安時代主流であった和歌の傑作集である百人一首から紐解いていこうと思う。
和泉式部の残した歌
百人一首は、藤原定家が鎌倉時代初期に編纂した、飛鳥時代から鎌倉時代の有名な歌人たちの歌を一人一首ずつ百首選んだものである。そのうちの一人に、和泉式部がいる。和泉式部は平安時代中期の歌人で、中古三十六歌仙、女房三十六歌仙にも選ばれたほどの実力を持つ。彼女が読んだ歌は、五十六番である。
『あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの あふこともがな』
この歌は、「私はもうすぐ死んでしまうのでしょう。この世ではないところの思い出に、もう一度だけでもあなたに逢いたいものです」という意味になっており、和泉式部が病床に伏し、自分はもう永くはないということを悟ったときに想い人に送ったとされる歌である。
最後にもう一度あなたに会いたいと願った和泉式部
この歌は、前述通りの意味と「死ぬ前にもう一度あなたに逢って、あなたに忘れられないようにしたい」という2つの意味があるとされている。人は全員に忘れらたときに本当の意味で死んでしまう、と現代でも言われるように平安時代の人々も大切な人に忘れられるのを恐れたのだろう。そう考えたとき、死が穢れであるとされ誰からも看取られずにこの世を去るのが普通であった時代でも最期を大切な人と過ごしたいと思う気持ちは現代と変わらないことが分かる。
今も昔も変わらない気持ち
もちろん和歌の一首だけでは一概には言えないが、最期が独りであることがたとえ当たり前だったとしても、それまでの人生何十年もの間関わってきた人に見守られずに死にたいと思う人はなかなかいなかったのではないかと思う。文化や時代が変わっても、人間の心は簡単には変わらない。まだ医療も未発達であった平安時代、独り寂しく死ぬことを恐れ、もう一度大切な人に逢いたいと思いながら死を迎えた人はどれくらいいるのだろうか。
現代当たり前に大切な誰かの死に居合わせることが出来ること。悲しいかもしれないが、それがいつの時代も当たり前ではなかったことを、私たちは知っておくべきなのである。