仏教、道教、神道…様々な要素を吸収して成立した日本独特の宗教、陰陽道。その歴史の中でも稀代の陰陽師として現代でも人気のある、安倍晴明が行ったとされる、延命長寿の秘儀が「泰山府君祭」である。
安倍晴明と陰陽道
式神と呼ばれる鬼神を操り、呪術をもって魔を祓う。陰陽師・安倍晴明(921〜1005)の名を知らない人は今や少数といってよいのではないだろうか。和製オカルト界の絶対的スター空海を超える勢いである。2024年大河ドラマにも登場しているが、紫式部と藤原道長の間に晴明を入れる必然性は特に無いと思われる。しかし道長の時代を描く際には登場しないのも返って不自然なほど、晴明はメジャーな存在となっている。陰陽師は天文、つまり星の動きや暦を使って未来を予知するのが役目である。また凶相が出た場合は厄払いなどの方策を提供した。占い師、風水師、呪術師などを合わせたような存在だった。陰陽道の体系は陰陽五行思想に、道教、仏教、神道など、様々な要素が入り混じった、日本らしい混淆形態といえる。その影響は暦をはじめ、節分、雛祭、七夕など、日本の年中行事などに色濃く残されている。現代では晴明の子孫、土御門家に連なる家系が「天社土御門神道」として祭祀、暦法を伝えている。
死の予定を覆す、泰山府君祭
宗教は生死に関わる分野である。優れた宗教者にには祈祷や超能力めいた力をもって病を治癒する奇跡譚がつきものだ。晴明にもそれはある。「今昔物語」によると、ある名僧が重い病にかかり、弟子が密教の加持祈祷を修しても霊験は現れなかった。そこで白羽の矢が立ったのが音に聞く陰陽師・安倍晴明である。晴明は陰陽道の秘儀「泰山府君祭」を行おうとしたが、卜占によると既に名僧の命数は尽きていた。だが、僧の身代わりになる弟子の名を「都状」(陰陽道の祭文。祝詞のようなもの)に記すことで祭りを行えるという。しかし身代わりになろうという僧はいなかった。その中で特に目をかけられることもなかった貧しい僧が名乗りをあげた。晴明は彼の名を都状に記し祭りを行うと師僧は見事に治癒した。その後弟子の僧は死を覚悟したが結局死ななかった。晴明によると、人の生死を司る神、泰山府君が彼の行為を哀れみ、命も助けたのだという。この後、師僧はこの僧を重く用いるようになり共に長寿を全うした。晴明は本来死ぬ運命だった僧侶の命を長らえたのだ。
また、藤原実資の日記「小右記」には、一条天皇の病を治癒する話がある。その日は天台座主による密教の延命長寿修法「尊勝御修法(そんしょうみしほ)」「焰魔天供(えんまてんく)」が予定されていたが、焰魔天供の方は行われず、代わりに晴明が泰山府君祭が行ったという。泰山府君祭は道教系の祭祀を基に、晴明が大成した独自の祭祀法であった。
他にも、晴明の子孫の安倍泰成が、国を乗っ取ろうと画策した「金毛九尾の狐」を調伏するために泰山府君祭を行ったという話がある(御伽草子)。変わったところでは、公卿・藤原有国(9431011)が泰山府君祭を行い、父を生き返らせたという説話が伝えられている(今鏡、古事談、十訓抄)。
死の裁定者、泰山府君と閻魔
延命長寿の秘儀、泰山府君祭は陰陽道で信仰する神「泰山府君」を祀る儀式である。泰山府君は中国の泰山に君臨する神で、泰山そのものが神聖な山とされ信仰を集めていた。泰山は死霊の赴く霊山とされ、泰山府君は人間の寿命の記録である戸籍ならぬ「死籍」を管理していると信じられた。
だが中国に仏教が伝わると冥界の王の座は夜摩天、つまり閻魔に奪われ、泰山府君はその配下に下ろされた。泰山府君を再び生死を司る最高神としたのは晴明である。
閻魔は閻魔大王として、長らく死後の裁定者として君臨してきた。中国の考えで面白いのは、裁定者とは交渉の余地があることだ。先述の「焔魔天供」とは、「能く王に乞ひて死籍を削り、生籍に付す。疫病の家に到らば、多く大山府君の呪を誦す」というものらしい。つまり、閻羅に死籍を削り、生籍に付けるように乞うことで寿命を延ばす修法である。そうしたことから、病人の家では泰山府君に向かって呪文を唱えるという。閻魔に死籍の改訂を、配下の泰山府君にとりなしてもらうのだ。先述の藤原有国も泰山府君祭を行い、閻魔から父の復活を許可された。しかし専門の陰陽師ではないにも関わらず、泰山府君祭を行うことは大罪であるが、親孝行の功が認められ許されたという。
死の裁定者との交渉といえば、余命いくばくもない聞いた若者が生を司る星、南斗星君を訪ねるという神話がある。死を司る北斗星君と碁に夢中な南斗に、酒と食べもの差し出すとそれらを飲み食いし、気づいた南斗が礼に寿命を伸ばしてくれたという。北斗星君(北斗七星)は「太一神(北極星)」と同一視され、太一神は泰山府君と同一の神とされている。
神々に命数を延ばす交渉や策を講じるなど、日本人なら返って罰が当たると考えそうなものだが、晴明も泰山府君祭にあたって「都状」に身代わりの名を記すよう促している。既に決まっている死の運命を人為的に覆すという発想は、現実的な中国人らしい。泰山府君祭も陰陽五行説という中国思想を根幹に持つ陰陽道ならではの秘儀だといえる。
失われた泰山府君祭
晴明は泰山府君を再び生死を司る最高神として祀り延命長寿を実現させた。天台・真言密教が独占していた天皇の宗教的な守護の地位に、種々雑多な体系である陰陽道が並んだのは、晴明の卓越した力量によるところが大きい。しかし、泰山府君祭の正確な修法は失伝しており、現代に伝わる祭祀は吉田神道などの影響が強く残る後世のものだという。死籍を削り、生籍に付ける祭祀とはどのようなものだったのだろうか。
生死を超えるオカルトスターたち
安倍晴明は現代のオカルトスターである。古くは修験道の祖とされる役行者、最近までは空海がその座にあった。運命、病気、災害…人知の及ばない存在、現象に対し、不可思議な力で対抗する超人たちを希求する気持ちはいつの世も変わらない。雨を降らし病を治し死者を復活させるオカルトスターは、科学時代のこれからも消えることなく存在していくはずである。
参考資料
■プレモセリ・ジョルジョ「陰陽道神・泰山府君の生成」『佛教大学大学院紀要』42号 佛教大学文学研究科(2014)