「南無阿弥陀仏」いわゆる「お念仏」と、「南無妙法蓮華経」いわゆる「お題目」の違いがわかる人というのは案外少ないのではないか。仏教に対して特に関心を持たない人には同じに聞こえても不思議ではない。しかしこの2つの言葉は似て異なる。「南無阿弥陀仏」の名号を称えるのが「念仏」、「南無妙法蓮華経」の題目を唱えるのが 「唱題」である。鎌倉時代に起こった庶民のための新仏教は念仏で始まり唱題で出揃った。

念仏 法然の革命
念仏は浄土宗、浄土真宗など浄土系仏教と、総合仏教といえる天台宗で行われる。「阿弥陀如来に帰依する」という意味の「南無阿弥陀仏」の六字を称える行が「称名」である。浄土系仏教の経典「観無量寿経」には極楽浄土に往生する人間には、上品上品、上品中品、下品上品などの9つのレベルがあると説いている。称名は称えるだけの簡単なもので、最低レベルの衆生が行う行だった。だが法然(1133〜1212)は称名のみを取り出し、レベルなど関係なくどんな人間でも、称名だけで極楽に往生ができるとする「称名念仏」の法を説いた。元々念仏とは、言葉通り「仏を念じる」行法だった。具体的には如来や菩薩の姿をイメージする瞑想のことである。法然は数ある仏教の教えや行法から、最も実践が容易な称名念仏を選択。念仏とは称名念仏のことを指すようになった。誰でもどこでも「南無阿弥陀仏」を称えれば救われる。苦しみながら生きている庶民はこの教えに飛びついた。以降、法然の教えを親鸞、一遍が念仏を深め、さらにただ座るのみの行を説いた禅宗が起こった。そして日蓮が登場する。
唱題 日蓮の挑戦
大乗仏教の経典の中でも「経典の王」と呼ばれるのが「法華経」である。法華経はそれ自体が神秘的な力を持つとされ、法華経を読誦することで霊験を得られると言われた。日蓮(1222〜82)はさらに法華経の本文を読まなくても、その題名「妙法蓮華経」だけを唱えるだけでよいとした。これが「法華経に帰依する」を意味する「南無妙法蓮華経」の題目である。この題目を唱える行を「唱題」という。唱題そのものは日蓮が作ったわけではないが、事実上作り上げ広めたのは日蓮と言ってよい。念仏と同じように見えるが、日蓮は念仏を称える者は無間地獄に堕ちると徹底的に批判した。日蓮にとって念仏は、この世を否定し、死後の極楽往生に希望を託す現実逃避の思想に他ならなかった。日蓮によると、念仏と同じくらい簡単で、あの世ではなく今、この世界を浄土に変えられる。それが唱題だった。主著「立正安国論」では念仏のせいで日本が滅ぶとまで言っている。この激烈ぶりは、後の日蓮宗にも引き継がれ、日蓮宗の集団が浄土真宗の総本山、山科本願寺を焼き討ちにする事件も発生したほどである(法華一揆)。
漲る唱題
俗に「朝題目、夕念仏」というが、確かに唱題は朝、念仏は夕方の趣きがある。日蓮宗系は団扇太鼓と呼ばれる太鼓を叩きながらは題目を唱える。仏壇の前だけではなく、布教活動として路上を歩きながら行うことも多い。ドンドンと太鼓を鳴らし、「ナムミョーホーレンゲーキョー」と声も高らかに張り上げる彼らは、日蓮がそうであったように仏法を説く者の行く手を阻む者は無しと言わんばかりの気概が感じられる。日蓮系が国や政治に関心を持つ傾向があるのは題目の持つバイタリティ故かもしれない。唱題には夜明けの爽やかさ、太陽の逞しさがある。
味わう念仏
一方、念仏は夕方の静かな雰囲気がある。太陽が沈む西の果てにあるのは西方極楽浄土だ。一日の終わり、西の空に彼岸の浄土に思いを馳せつつ称える念仏にはしみじみとした味わいがある。現在に至るまで日本の最大宗派は東西の浄土真宗である。儚さに惹かれる多くの日本人は、ダイナミックな唱題より、念仏のセンチメンタリズムが好まれたのかもしれない。
読経を味わってみる
念仏と唱題は同じように見えて正反対の性質を持っている。双方は互いに相容れないように見えるが、称える・唱えることで救われるという易行の教えによって庶民の心を癒やしてきた。仏教に関心のない人がこれらに触れることができるのは、多くの場合は葬儀の会場だろう。葬儀は生きている人間が仏法と出会う場でもある。読経の際には、念仏か、題目か、あるいはその他のものか。味わって聴いてみるのもいいかもしれない。