江戸時代の罪人への刑罰は武士階級と庶民の間に明確な違いがある。切腹は武士にのみ許された。武士たる者は死の恐怖を乗り越え、最期は美しく果てなければならない。しかし現実は中々そうはいかず、理念のみが残されたという。切腹の理念と現実とは。

美しく散るか、穏やかに生きるか
アニメ「ベルサイユのばら」の主題歌は、名もなき花ならただ咲いていればよいが、バラは気高く咲き美しく散るのが定めだと歌う。フランス革命に身を投じ自由のために死んだ男装の麗人騎士・オスカルの人生そのものである。これに対して放浪の画家、山下清(1922〜1971)をモデルに描いたドラマ「裸の大将シリーズ」の主題歌は、野に咲く名もなき花のような生き方をしたいと歌っている。作中では、山下清の純粋な心と穏やかな人柄さが、行く先のトラブルを解決し、人々の心を癒やしていく。どちらが良いということはないが、少なくとも武士たる者は死に際して見苦しい姿を見せず、美しく散ることが本懐であるとされた。
切腹とは
江戸時代、罪を犯した者に対する処刑方法の多くは打ち首だったが、武士として最後の面目を保つために自決を迫ることがあった。その方法が切腹である。切腹自体は平安時代にまで遡れるが、江戸時代に武士に申し付ける刑罰として形式化された。我々が知るいわゆる「切腹」とは江戸時代のそれを指すといっていい。切腹を申し付けられると、切腹支度がはじまる。白装束を身に纏い、検使として派遣された大目付らの注視の中、水盃を飲む。心身を浄めたあとは、三方と呼ばれる器に載せられた短刀を取り、下腹部を一文字。さらに腹の中央から下へ切り下げる。そこまで見届けた上で介錯人が首を斬り落とし、検使に首を見せて終了となる。しかし実際にはこのようにスムーズに済むことは稀であった。
切腹の形式化
切腹というと自ら刃を立て腹を切って果てるイメージがある。その後は介錯人が首を刎ねて終了といったところだろう。切腹は自刃が本番であって、介錯とは切腹人が苦しまないように止めを刺してやる役割だと思われるかもしれない。しかし実際には切腹で果てるのはかなり難しい。脇差で横に薙いで腹をかっさばくわけだが、実際は割腹後も死にきれず苦しむ者が多かったようだ。腹を切るだけで即死となるのはほぼ不可能で、死に至るまで地獄の苦痛が待っている。それでも江戸時代の途中までは文字通りの切腹だったが、後期になると木刀腹、扇子腹などといって、木刀や紙を巻いて刃物に見立てた扇子を用意し、それらを手に取った時点で介錯人が首を刎ねたという。腹を切った形にして介錯をする、事実上の斬首であった。これは切腹人が取り乱したり、狼狽するのを防ぐためと、切腹後の後処理の問題があった。人間そう簡単には、まして綺麗に死ねないということである。だが罪人とはいえ見苦しい死に様にはさせないため、武士の面目を守るために切腹という形式は残したのだった。
武市半平太の切腹
そうした中でも文字通りの切腹を成し遂げた人物に、幕末の志士として名高い、武市半平太(瑞山 1829〜1865)がいる。土佐藩内の政争に敗れ切腹を命じられた武市は、誰もなしえなかったと言われた「三文字割腹の法」を成し遂げたと伝わる。腹に漢字の「三」を書くように切る方法である。一文字すら耐えられない苦痛である。これがどれほど苦しいものだったか。腹を切った武市は前のめりになったため介錯人は首を斬ることができず、両脇から心臓を突いて絶命させたという。壮絶な話である。
武士にとって死を恐れることほど恥なことはない。死は乗り越えなければならなかった。仏教の各派の中でも禅が武士階級に好まれたのは、生死の超越を説くストイックさが武士の死生観に合ったのである。切腹も死の恐怖を乗り越えるための手段であった。しかし現実は楽に死ねるように形式化されていった。生死が錯綜し混乱する戦国の戦場とは違い、太平の世においては武士とはいかに生きるべきか、いかに死ぬるべきかなどを考える余裕があった。そして徳川三百年の間、観念としての武士道が追究され熟成していく。その結果、江戸後期にはほぼ行われなかった真の切腹が幕末に実現したのである。
猪熊功の切腹
現代社会で切腹などする人がいるだろうか。自殺件数は増えていると聞くが、切腹で果てたニュースは聞いたことがない。現代の我々にとって切腹とは時代劇で武士を演じる俳優がやるものだ。昭和の切腹としては三島由紀夫(1925〜1970)を思い出す人も多いと思われるが半世紀が経つ。
ところが21世紀の幕開けとなった2001年、東京五輪 柔道重量級の金メダリストで当時東海建設社長を務めていた猪熊功(1938〜2001)が、会社経営の不振の責任を取るため自刃した。介添人・見届人として、友人であり部下でもあった合気道家・井上斌がその最期を見届けた。井上は猪熊の壮絶な死に様を著書に綴っている。猪熊はソファに座りしばし目を閉じた後、「今ならできる!」と叫び脇差を首に突き入れたという。多くの切腹人と同じくそのまま即死というわけにはいかなかった。「切れない」と言う猪熊に井上は「まだまだっ 切れてないっ!」と檄を飛ばす。さらに突き刺した猪熊は「もういいだろ」と言ってソファにもたれかかった。それでもまだ息はあった。頸動脈のはずが頸静脈を切ってしまったのだ。この場合は失血死まで時間がかかる。猪熊が息を引き取るまで50分を要したという。現代社会で介錯は許されない。井上は友の「けじめ」を見届けるだけであった(注)。猪熊は喉を突いたので、正確には「切腹」とは言えないが、武道家がけじめをつけるべく自ら刃を突き入れた行為はまさに現代の切腹といえる。日本史史上最後の「切腹」になるかもしれない。現代社会においてそれが本当に責任を取ることになるのかは疑問であるが。
注:井上の行為は直に手を下さなくても自殺幇助に当たるのではないかと思われるが、結果的に罪に問われることはなかった。
切腹から学ぶもの
切腹とはつまりは自殺である。死を美化してはいけない。現代の常識・倫理において、自分で自分の腹をかっさばくなど野蛮以外の何物でもない。当の武士にしても格好良くはいかず、いざ切腹の段になって狼狽する者は多かった。
ところで近年「死刑になりたくて」他人に害を及ぼす事件が増えてきている。ここまで身勝手で見苦しい行為もない。最期は美しく散るべきという切腹の理念とは真逆の行為である。むしろ死を美化しないことが、そのような凶行に及ぶ一因にもなっているのではないか。切腹は確かに自殺である。だが身勝手な行為が目立つ時代で、罪を受け入れて心身を浄め、明鏡止水の面持ちで刃を立てる切腹の理念からは、精神的には学べるものがあるとあえて言いたい。
参考資料
■井上斌/神山典士「柔道五輪金メダリスト猪熊功はなぜ自刃したのか」アドレナライズ(2013)