「翁草(おきなぐさ)」とは、江戸時代に神沢杜口(神沢貞幹とも言う)という人物によって著された随筆である。一言に随筆と言っても、単に自分の思うことを書いたエッセイ的なものではなく、自分が見た先行文献や人々から聞いた体験談なども多く、武将や当時の芸能人の説話、町人や犯罪者などのエピソード、さらには妖怪や怪異についての噂なんかも記録している。『翁草』は神沢杜口の個人的な著作と言うよりは、膨大な諸資料からの抜粋・抄写を含む「編著」と言うべきだろう。そんな様々なジャンルの話が含まれている「翁草」の中には、人の生き死にについての話もいくつか記されている。そのうちいくつかを紹介したいと思う。
鉢坊の長寿
タイトルの「鉢坊(はちぼう・はっちぼう)」というのは托鉢僧(鉢を叩き信者の家をめぐり食事を分けてもらう僧)のことであり、また堕落した僧侶という意味もある。
宝暦年間の末ごろ、京都に百歳近い坊主がいた。頼る親戚縁者もおらずに孤独で、鉢を叩いてその日の飢えを凌いでいた。身は老いていても、生命力が強いことを我ながら嫌になって、「断食して死ぬのを待とう」と、半月余りも食を断っていた。
師走の末になると、日頃出入りする方から豊年お祝いとしてぜんざい餅を渡された。はっきりと断ることもできず、お礼を言ってぜんざい餅をもらったが、断食中で食べるわけにもいかないので家守に持って行った。家守は「寒い季節のあつものは老体に良い贈り物なのに、どうして食べないのですか?」と坊主に聞くと、最初は誤魔化した坊主もついに誤魔化しきれず断食していることを話す。家守は餓死自殺は天に逆らう行為であるから思いとどまるよう諭し、坊主は餅を持って家に帰った。「断食の後で大食いすれば死ぬと聞いたことがある。これでたらふく食べたら死ねるだろう」と餅を食べ、「満腹時に熱湯に入ると死ぬと聞いたことがある。」と銭湯に行きひどく熱いお湯に入った。今夜は死ねるだろうと念仏を唱えて眠ったところ、朝になると精神がいつにも優って爽やかで、体力も回復していた。坊主は呆れて、「さても浮世はこういうものか。死のうとすれば死ねず、生きようとすれば死ぬ。よしよし、天に任せよう」と。それからは世はつらいと思わず、自然に暮らして今も健康であるとある人が語った。
心中者
相対死のことを、世俗では「心中」と呼んでいる。昔はあまりうわさもなかったことである。泰平の世に乗って、世の人々が色欲と金銭欲がさかんになるにつれて、百年余以前からこのかた、この心中がひじょうにはやっている。
これにもいろんな種類があって、ある場合には邪いん、ある場合には金銭的な行きづまりなどもあるが、まずもって若気の無分別が多い。もしもかれらを、希望どおりに一緒に添わせてやったならば、必ずや一、二年のうちには、けんかすることになり別れ別れになるであろう。そのわけは、命を捨てるほどにおぼれるものは、また飽くことも速やかであろうからである。
このように浅い迷いだということにも気づかずに、もったいなくも命を失うのは、つまらないことである。
参考資料
■浮橋康彦 訳『翁草(上)』1980年6月 教育社
■浮橋康彦 訳『翁草(下)』1980年6月 教育社