父方の祖母が亡くなったときのことだ。祖母は晩年、私の伯母(祖母の長女)に引き取られた。
最晩年はその伯母の自宅近くの介護施設に入所していた。2日に1度伯母の訪問を受けながら日々を過ごしていた。
この伯母はボランティア活動に熱心で顔が広い。そのおかげで、地元で行う葬儀に関する良い情報や協力的な人が集まったらしく、だいぶ楽に葬儀の準備を整えることができたようである。
私が葬儀に参列しなかった理由
このとき私の家族はいずれも仕事中だった。
両親は夕方から急遽斎場へ向かうことができた。しかし私は当時就いていた仕事の都合上、携帯電話に着信した訃報のメールを開けるのが遅くなった。斎場まではかなりの距離があった。遅くなっても葬儀に行こうかと迷ったが、急いでもその時間からでは間に合いそうになかった。だから葬儀に参列せず家で留守番することにした。祖母の96歳という年齢もあり、その死に対する驚きや悲しみがあまりなかったのだ。それに死に目にも会えなかったことだし、何の準備も手伝わず、葬儀にだけ参列するのも気が引けたし意味がないとも思った。だから遅くなっても祖母の葬儀に駆け付けようという思いが湧かなかった。
祖母の死に対する驚きや悲しみがあまりなかったのにはもう一つ理由がある。それは祖母の介護をしてきたから、という理由である。
祖母の認知症が発覚してからおよそ2年の間、短い期間ではあったが家に祖母を引き取り家族で介護した。その間ゆっくりと祖母が死に向かっていくのを見た。
私とは違い葬儀に参列し、号泣した従姉妹
葬儀の翌日、斎場から帰宅した両親に葬儀の様子をきいたが、私の従姉妹たちが葬儀で号泣していたらしい。
従姉妹たちは伯母とも離れたところに暮らし、祖母とも交流こそあったが、介護まではしていない。だから祖母の病状の進行を見ていない。従姉妹たちにとって、祖母の死は突然襲ってきた不幸なのだと思った。
従姉妹たちの様子を聞いた私は、祖母を介護した者としなかった者とでは、祖母が亡くなったときに受ける衝撃が違うのだと感じた。私はきっと介護をしたことにより、祖母を見送る心の準備ができたのだろう。そう考えると、介護とは最終的に自分自身のために行っていたことになるのではないか。祖母の死を受け入れるために。
心の準備ができていない人のために直葬から家族葬に変更
人の死は突然やってくるものだ。その葬儀も突然やってくる。前もって準備するのは困難だ。だからこそ心の準備くらい前もってできるほうがよい。
この祖母の葬儀のとき、私を含めた我が家の面々や伯母は、ある程度心の準備ができていた。そのためか、心にゆとりがあったように思う。私は率先して葬儀の準備をしているであろう伯母を心配することができた。伯母はリウマチを患っている。だから私の予想に反し、伯母が葬儀に関して何も困らなかったし大変でもなかったと聞き安心した。伯母は、葬儀のプランが直葬になりそうだったところを家族葬を選び、従姉妹たちのために祖母との別れの時間をもうけることができた。
家族葬だったなら私も葬儀に参列した方が良かったかとも思ったが、やはりそうではないとすぐに思い直した。私と祖母の別れは既に済んでいたのだから。前述したように、従姉妹たちは私たちのように時間をかけて介護という形で祖母との別れを済ませていなかった。当然、祖母が亡くなることに際して心の準備をすることなどできていなかった。だからせめて、最後の最後に別れの時間はとるべきだと、伯母は思ったのだろう。葬儀での従姉妹たちの様子を聞いた限り、伯母のその判断は正解だったと思う。
葬儀を行うなら、故人や参列者のこと、そして親族のことを同じくらいの重要度で考えたい。家族葬にして本当によかったと今も思う。