葬儀に述べられる弔辞。読経は死者だけでなく、参列者に対しても仏の教えを説く意味があるとされる。弔辞もまた旅立つ死者の霊に手向ける最後の贈り物であると同時に、新たな人生を歩き出す残された人たちの、死者に対する約束と宣言を表す。葬儀とは本来死者と生者、双方のための儀式である。
万葉集に残る最古の挽歌
令和も4年を迎え国民の意識にも馴染んできたようだ。新元号制定の際、「令和」という元号は「万葉集」の和歌が典拠になっているとして当時話題になった。この日本最古の歌集は、相聞歌、挽歌、雑歌から構成されている。相聞歌は男女の恋を歌ったもの、挽歌は死者を悼む歌、雑歌は相聞歌と挽歌以外のものを指す。挽歌のの中でも柿本人麻呂(662~710)が高市皇子(654〜696)に手向けた挽歌は万葉集最長の文として、また名文として知られている。
人麻呂は持統天皇(645〜703)の御世に宮廷歌人として朝廷に仕えた。宮廷歌人は天皇の行幸の折には天皇を称える歌を詠み、皇子、皇女の薨去にあたっては死者に手向ける歌、挽歌を詠んだ。高市皇子への挽歌は万葉集最長の壮大なものである。古代最大の騒乱・壬申の乱(672)において、父・天武天皇(?〜686)から全権を与えられ武功を残した勇猛さと、父帝と共に国を栄えさせた功績を称える。そして一転して薨去の場面となり、嘆き悲しみ、永遠に偲び続けるとする哀悼と鎮魂の響きを持って終わる。
死者に最後に贈るのは挽歌という名の言葉だった
挽歌は死者への最後の手向けが言葉であることを示す。古来より言葉には神の力が宿るとされ「言霊」と畏れられた。人麻呂は宮廷歌人だったが、宮廷歌人とは言霊を以て国を支える役目を担っていた。人麻呂は「言霊(ことだま)のたすくる国ぞ 幸くありこそ」と詠んでいる。古来の歌人は死者に言霊を手向けることで、死者を迷いなく常世に旅立たせるマジカルな役目もあったのではないだろうか。
現代の挽歌 内田祐也に送った内田也や子
葬儀の際に述べられる弔辞は現代の挽歌としての名残を感じられる。その形も様々である。歌手の内田祐也(1939〜2019)を送る会では長女の内田也や子が弔辞を述べたが、その内容もさることながら締めくくりの言葉が注目を集めた。
「Fuckin‘ Yuya Uchida, don’t rest in peace. Just Rock‘n Roll 」
「安らかに眠るな!」「ロックンロールであれ!」
形式ばった弔辞の常識を超えた「ロックンローラー内田祐也」への勇壮な挽歌といえるものだった。
赤塚不二夫に送ったタモリの弔辞
また、タモリが本名の森田一義の名で赤塚不二夫(1935〜2008)に捧げた弔辞も当時世間を騒がせた。霊前に立ったタモリは手にしていた紙を開き弔辞を述べたが、この紙は白紙だったと言われている。そして最後に「私もあなたの数多くの作品の一部です」と締めくくった。売れない芸人だったタモリを赤塚が拾ってやったのは有名な話だ。タモリは赤塚からギャグから人生そのものを学んだ。正しく「天才バカボン」や「おそ松くん」らと並ぶ赤塚の「作品」である。生前の偉業を称えるという意味でタモリの存在自体が赤塚への挽歌であった。
「あなたを忘れない」という約束
このような破天荒な内容は難しくても、弔辞は本式の葬儀には欠かせない葬儀儀礼である。弔辞を述べる者は誰に向かって話しているのだろうか。もちろん死者に対してである。しかし同時に参列者に、著名人である場合ならメディアを通じて、視聴者、聴取者に対しても向けられる。なんのためか。死者を忘れないため、「あなたを忘れない」と死者に約束するためである。人間が本当の意味で死ぬとは、誰からもその存在が忘れられることである。その人のことを誰の心からも消えた時、「そもそも生きていなかった」ことになる。一般の人であっても、そこには様々な物語があったはずで、誰ひとり凡庸な人生などというものはない。 死者を悼み、死者の歴史を振り返り、今生における物語の終焉を告げ、語り継ぐために弔辞は手向けられる。人麻呂は高市皇子への反歌(長歌の後に添えられる短歌)でこのように歌っている。
ひさかたの天知らしぬる君故に 日月も知らず恋ひ渡るかも
(天を治めるあなたのために、月日が経つのも知らず、いつでもあなたをお慕い致します)
弔辞は言霊となって残された者の心に宿り、永遠に故人を偲び、語り継ぐ。語り継がれる限り死者は死んでいないのである。
葬儀は約束をする場所
死はその人や家族だけのものではない。その人と関わりあったすべての人にとっても共有するべきものである。その意味で弔辞は極めて重要な葬送儀礼といえる。我々は葬儀において弔辞を述べ、永遠の思慕を約束する。それは我々にとっては死者を心に宿しつつ、新たな人生が始まる宣言でもある。葬儀は死者にそのことを告げる約束の場である。形式的になりがちな弔辞だが、言葉は言霊であることを意識して、死者と真摯に向き合いたい。