多様性。簡単にはいかない。特に宗教による争いは互いの真理を譲ることはできない以上、相手を認めることは困難である。宗教哲学者ジョン・ヒック(1922〜2012)は、すべての宗教の真理は究極的には同等であるとする宗教多元主義(Religious Pluralism)を提唱し、宗教間の壁を取り除こうとする考えを示した。これを絵に描いた餅ではなく、多元主義の実現に近い宗教がインドにある。
シク教の発祥はインド
インド北西にアムリトサルという街がある。パキスタンと国境を接するパンジャブ州最大の都市でシク教の聖地である。シク教は日本ではほとんど聞くことのない宗教だが世界でも指折りの信者数を誇る。我々がインド人に対して抱くことの多い「ターバン」を巻く人は、実はシク教徒の風習でインド人の一部に過ぎない。日本のシク教寺院「グル・ナーナク ダルバール東京」ではこのように紹介されている。
グル・ナーナク ダルバール東京からの引用
ーシク教は、15世紀にグル・ナーナクがインドで始めた宗教。スィク教、スィック教、あるいはシーク教とも呼ぶ。シク(スィク)とはサンスクリット語の「シシュヤ」に由来する語で、弟子を意味する。それにより教徒達はグル・ナーナクの弟子であることを表明している(グルとは導師または聖者という意味である)。総本山はインドのパンジャーブ州のアムリトサルに所在するハリマンディル・サーヒブ(ゴールデン・テンプル、黄金寺院)。教典は『グル・グラント・サーヒブ』と呼ばれる1430ページの書物であり、英語に翻訳され、インターネットでも公開されている。世界で5番目に信者の多い宗教で、約3000万人の信者がいるー(グル・ナーナク ダルバール東京)
当時のインドはヒンドゥー教とイスラム教がしのぎを削っていた。開祖グル・ナーナク(1469頃〜1539)は「ヒンドゥ教があるのではない。イスラム教があるのでもない」と言い、神の前に万人は平等であるとしてヒンドゥー教とイスラム教の要素を統合した教えを展開した。万人平等の思想からカースト制度は否定され、異教徒に極めて寛容な宗教である。
シク教の教義と宗教多元主義
シク教は一神教であり偶像崇拝を禁じているが、一方で輪廻転生も認めている。神は姿も形もなく属性も特徴もない。人間はそのような神への信愛を絶やすことなく抱き続けることで、死後は輪廻転生を繰り返し、その果てに神との合一を果たすことができると説く。一神教・偶像崇拝と輪廻転生が同居する教義は、イスラムとヒンドゥーの統合を感じさせる。また、神との合一という思想はシク教のイスラム的要素でも、特にイスラム神秘主義「スーフィズム」の色合いが強いといえる。さらにシク教は異教に寛容である。いかなる宗教の神も唯一絶対の神に含まれるとするからである。ここにはあらゆる異端を排斥せず、吸収調和して成立したヒンドゥー教の多元主義的な要素が見られる。シク教はヒンドゥーの多元的要素にイスラムの一神教、偶像禁止、スーフィズムの神秘主義が加味された総合的多元的宗教といえるだろう。
こうしたシク教の特色を概観すると、宗教多元主義を実現した具体的なモデルとして見ることができる。ジョン・ヒックは自著に「神は多くの名前をもつ」というタイトルを付けたが、シク教は一神教といってもアッラーのような固有名詞がなく、神を表す言葉は数十に及ぶという。シク教の聖典「グル・グラント・サーヒブ」にはイスラムの神もヒンドゥーの神も、同じ神の違った姿であると説いている。シク教は宗教多元思想を実現している宗教であるともいえる。
黄金寺院とランガル
万人は平等であるからカースト制度は否定される。いかなる階層・職業も平等の価値があり格差は無い。シク教はその多元主義的な教義から万人救済の一助を実践している。
アムリトサルで一際目を引くのが黄金色に輝くシーク教の総本山・黄金寺院(ゴールデンテンプル)である。誰でも自由に参拝でき、周辺はバザールなどで賑わっている。特筆すべきは無料食堂「グル・カ・ランガル」(共同食堂)である。5000人を収容できる巨大食堂で1日10万人分の食事が無料で提供されている。ここでは宗教、人種、地位、年齢、性別…など全く関係なく、いつでも温かい食事が食べられる。人と人を分かつものはない。300人の調理人は全員がボランティアだ。約500年続いている。
ランガルはグル・ナーナクがカースト制度を批判する意味を込めて、礼拝後に身分を超えて同じ部屋で、同じ食事をとる制度として確立したとされる。黄金寺院だけでなくすべてのシク教寺院には共同厨房・食堂が設置されており無料食堂が行なわれている。多元宗教・シク教がその教えを実践に移した象徴といえるだろう。
真の多様性とは
シク教の一神教・輪廻転生・神秘主義の統合は21世紀の死生観の構築において興味深い。そしてそれらの教義が、人間を上下優劣敵味方に区別する壁を壊し、生きる上で最も根本的な「食」を提供する慈悲行を生み出した事実は、シク教が単なる折衷宗教でないことを示している。多様性と言いながらその実、自分たちと異なる考えを排除しようとする人のなんと多いことか。対立する者の考えを理解しようとはせず、お互いが正義の旗を振りながら敵を滅ぼそうとしている。これでは一歩も進まない。シク教の多元主義的な要素と実践は大いに学ぶべきものがある。
参考資料
■ジョン・ヒック著/間瀬啓允訳「神は多くの名前をもつ」岩波書店(1990)
■クシティ・モーハン・セーン著/中川正生訳「ヒンドゥー教」講談社(1999)
■「世界の宗教と経典」自由国民社(1996)
■保坂俊司「シク教の神の概念についての一考察――SacuとHukamuを中心として――」『比較思想』第13号 比較思想学会(1986)
■映画「聖者たちの食卓」公式サイト(ランガルの様子を描いたドキュメンタリー映画。子供から老人までが同じ場所で同じ飯を食べる日常が余計な演出もなく淡々と描かれている。)が