島根県には、古代出雲國の中心地であった意宇郡(おう)に六つの神社が存在する。意宇は現在の松江市であり、これらの神社は意宇六社とよばれ、「六社まいり」が行われている。その六社の中でも、何かと謎が多く、あの世への入り口黄泉比良坂の近くにある揖夜(いや)神社を紹介する。
出雲国造との関係が深い「意宇六社」とは
意宇六社とは、揖夜(いや)神社、熊野大社、神魂(かもす)神社、眞名井(まない)神社、八重垣神社、そして六所神社を指す。意宇は、古代出雲國の政治と文化の中心地であり、これらすべての神社が出雲国造りゆかりの社である。そして出雲の国づくりといえば、神話で有名な国生のお話である。出雲大社に祭られる大国主命(おおくにぬしのみこと)の祖先である『いざなぎのみこと』と『いざなみのみこと』の別離のお話にはなんともいえない切なさを感じる。
黄泉の国の話
『いざなぎのみこと』と『いざなみのみこと』が多くの神を生んだことはよく知られている物語である。いざなみのみことは、火の神を生んだ際、大火傷を負って亡くなってしまうが、いざなぎのみことは、悲しさのあまり妻を追って黄泉よみの国へ向かう。しかし、妻はもうこの世にはもどれない。なんとか帰れるようにお願いをするため、その間決して自分の姿を見ないように言われてしまうのだが、待ちきれなかったいざなぎのみことは、妻の姿をみてしまう。その恐ろしい姿に、逃げ出してしまい、自分の姿を見られたことに怒ったいざなみのみことは、その後を追いかける。そして、いざなぎのみことは、黄泉の国の入口を大きな岩でふさいでしまうのだ。そして、この伝承が残るのが黄泉比良坂であり、近くに揖夜神社が存在する。
揖夜神社について
揖夜神社は、古事記や日本書紀にも登場する由緒正しい神社である。毎年8月28日には、穂掛祭(ほかけまつり)と一ツ石神幸祭(しんこうさい)という神事が行われている。穂掛祭は、前日に、中海の袖師ヶ浦(そでしがうら)で禊を行う。そして、社務所で新米や神酒、焼米などの神饌を調理し、稲穂を榊に取り付けた穂掛榊作って七十五か所に捧げ、その神饌をお供えする、豊作を感謝する祭事である。一ツ石神幸祭は、かつて7月28日に行っていたが、現在は穂掛祭当日に行っている。まず袖師ヶ浦の沖にある一ツ石まで神輿を舟に載せて運ぶ。そしてこの一ツ石に稲穂と甘酒を捧げ、豊作豊魚を祝う。そして揖夜神社の拝殿の中央に存在する鏡は、今の自分自身の心を写すそうで、伊弉冉命に見透かされているような気持になり、なんとも神秘的である。
揖夜神社の御祭神について
●伊弉冉命(いざなみのみこと)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と国生みと神生みを行った女神。 火神を生んで死に、黄泉国を支配する黄泉大神となった。
●大巳貴命(おおなむちのみこと)
大己貴命は大国主命(おおくにぬしのみこと)の事である。両親はクシナダヒメとスサノオノミコト。
「因幡の白うさぎ」の神話はよく知られており、赤裸にされたうさぎを助けられた心のやさしい神さまであり、出雲大社の御祭神としても有名である。
●少彦名命(すくなひこのみこと)
常世(とこよ)の国からおとずれるちいさな神(一寸法師のルーツとも言われている)で、大国主命と協力して国作りをしたという。
●事代主命(ことしろぬしのみこと)
大国主命の子。中海を隔てた対岸にある、美保神社の御祭神
最期に…
黄泉の国のお話の最後は、いざなぎ夫婦の以下の話合いである。
いざなぎのみことは自分を見ないでほしいという約束を破ったことに怒り、「あなたの国の人を一日千人殺してしまおう」という。それに対し、いざなぎのみことは「それならば、私は一日に千五百人の人を生もう」と告げる。それ以来、一日に多数の人が死に、より多くの人が生まれるようになったという。揖夜神社の一ツ石神幸祭のお話をしたが、この一ツ石には、神社に祀られている御祭神に神様が会いに来るという伝承がある。誰が誰に会いに来るのかはわからないが、もしかすると揖夜神社のいざなみのみことに、いざなぎのみことが会いに来るのかもしれないと考えることもできるかもしれない。