近年グローバル(地球規模)、ダイバーシティ(多様性)など普遍的、包括的な世界観が叫ばれている。対して民族や国土、国境といった言葉には「ナショナリズム」として閉鎖的で狭量な印象が与えられがちである。「○○族」「○○国人」から「地球人」としての意識変換が望まれている。確かに環境、貧困、民族・宗教紛争など、世界が直面する問題の解決は急務であり、そのために自国中心主義的な発想では乗り切れないかもしれない。しかし「地球人」という概念は、日本人として生を受けた者として、その死生観において簡単には割り切れないものがある。
「地球人」か 故国、故郷か
「千の風」のように死んでも天地自然のあらゆる場所に自分はいるという汎神論的な宗教観は、まさにグローバル的、現代的であるといえる。散骨を望む人が増えているのも母なる地球を覆う大いなる大海へ還るイメージが好まれるのだろう。「地球人」という概念で捉えれば、終の棲家は世界のどこでもよいということになる。国土や民族を超越した普遍的な価値観は必要だろう。その一方で、人生の最期を故国、故郷で迎えたいという思いも自然なものだと思われる。生まれ育った故郷には特別な思いがあるものだ。故郷を追われた人もいる。思い出したくもない人もいるだろう。それでも人生の最期は故郷で迎えたいという人は少なくないのではないか。故郷には具体的な記憶がある。街並み、自然、人々。故郷の記憶、空気、においは、それまで生きてきた自分自身そのものである。それに比べて「地球人」はあまりに広く観念的ではないか。四方を海で囲まれた日本で生れ育った我々には尚更である。
地球人をを意識するには少々無理がある
本宮ひろ志の漫画「サラリーマン金太郎」にアラブ出張中の主人公の同僚たちによる会話がある。
「しかし坂本龍馬か…何だろうな。この砂漠を前にしてその名前を聞くと、心がなごむよ」
「日本人なんだろうな、俺たち…」
「日本を出て日本人を感じるか…地球人はやっぱり理屈だ」(本宮ひろ志「サラリーマン金太郎」)
日本から離れれば離れるほど日本を感じる心性は理解できるものだ。「地球人」は知的な概念、観念である。「地球」の概念は普遍的過ぎるのだ。心から地球を故郷とする実感を持つには、宇宙に移住するか地球外知的生命体とのコンタクトを通じて地球人のアイデンティティを得る以外にないだろう。
故郷へ帰った仏教者
日本には「鎮守の森」「産土の神」など、土地や民族を強く意識させる土着的な神道の思想と、民族や土地を超越する普遍的価値を説く仏教の思想が両立している。仏教がキリスト教、イスラム教と並び世界宗教とされているのはその普遍的な教え故である。ムスリムは世界のどこにいても聖地メッカの方角へ向かい礼拝する。自分たちがメッカにいる必要はない。聖地の方角へ祈れば通じるからだ。仏教も同じことである。世界のどこへ行っても大日如来や阿弥陀如来の慈悲の光が照らしている。そもそも「無常」を説く仏教に国土に張り付く発想はない。ところが鎌倉仏教の始祖、曹洞宗宗祖・道元(1200〜53)と、浄土真宗宗祖・親鸞(1173〜1262)は故郷である京都で人生の幕を引いた。道元は自身が開山した曹洞宗総本山・永平寺を、親鸞は20年布教を続け浄土真宗を根付かせた関東を後にして、仏教の普遍的な教えを説きながら最後には故郷へ帰ったのである。
道元と親鸞が最期に故郷に帰った理由
道元は53歳で病にかかり療養のために帰京しそのまま翌年遷化した。当時としては晩年といえる年齢における病は、無常を説く道元にとって“その時”が来たに過ぎないはずである。それにもかかわらず永平寺と弟子たちを背に道元は帰京した。梅原猛(1925~2019)は故郷恋しさの心ではなかったかと述べている。道元はその厳格さにおいて日本仏教史上屈指の求道者である。その道元をして“その時”を自覚し望郷の念に駆られたのは普遍=仏教と土着=神道が混在する日本人故かもしれない。
親鸞が20年にわたる布教活動に終止符を打ち、故郷である京都に帰ったのは60歳を超えてのことだった。故郷を出てから数えれば実に30年ぶりの帰京となる。道元が無常を説いたように親鸞は阿弥陀仏の無限の慈愛を説いた。いつ、どこにいても、誰であっても阿弥陀仏の慈悲の光が照らしている。しかし親鸞は故郷へ帰った。帰京の理由はよくわかっていない。しかし道元と同じ思いだったのではないかと想像する。その後90歳で遷化するまで京都に残ったが、妻・恵信尼(1182~1268)は自身の故郷の越後(新潟)にいたという。京都で親鸞と20年近く過ごしたとも、元々帰京には同行しなかったとも言われている。親鸞が没した際に傍らにいたのは妻ではなく末娘の覚信尼(1224~1283)だった。恵信尼も恵信尼で望郷の念に駆られたのだろうか。
国土と共にした「日本沈没」の地球物理学者
小松左京のベストセラー小説「日本沈没」の現代版ドラマが放送されている。ドラマ版がどのような終焉を迎えるのかはわからないが、原作における地球物理学者「田所博士」の最期は壮絶である。田所博士は日本沈没を予言した作品のキーマンだが、国土と運命を共にした。田所は「もっとたくさんの人に日本と共に死んでもらいたかった」などと言う。それどころか、日本人全員に日本列島と共に死んでくれと訴えたかったというのである。とんでもないことを言うと思われるがその心情は以下の通りであった。
「日本人というものは…この四つの島、この自然、この山や川、この森や草や生き物、町や村や、先人の住み残した遺跡と一体なんです。日本人と、富士山や、日本アルプスや、利根川や、足摺岬は、同じものなんです。このデリケートな自然が…島が…破壊され、消え失せてしまえば…もう、日本人というものはなくなるのです…」
「この島が死ぬとき、私が傍でみとってやらなければ……最後の最後まで、傍についていてやらなければ、いったい、誰がみとってやるのです?」(小松左京「日本沈没」)
田所の考えは正しいとは言い難い。しかしこのような発想は他の国では中々出てこないのではないか。小松自身がどのような思想を持っていたかは詳しくないが、田所に一定の理解を示す読者は少なくないと確信していたと思われる。小松はグローバルでは割り切れない故国、故郷に対する日本人の心性を究極の形で描いたのである。
最期の風景
道元と親鸞が望郷の念に駆られたとしても否定はできない。むしろ理解できるものだ。彼らも日本の風土で育まれた人間だったのである。田所博士の心情も同意はせずとも理解はできる。葬式離れ、墓じまいなどが進み、価値観や死生観も緩やかに変化していくのかもしれないが、長年培われた心性には根強いものがある。私たちがこの世に見る最期の風景は病院の天井だろうか。筆者個人としては可能ならば見慣れた故郷の風景を眺めて死にたいものである。
参考資料
■高崎直道/梅原猛「仏教の思想 古仏のまねび(道元)」角川文庫(1997)
■本宮ひろ志「サラリーマン金太郎 8巻」集英社(1996)
■小松左京「日本沈没 下」光文社文庫(1995)