保育園にて、園児と保育士さんの会話で「先生、以前捕まえたオタマジャクシ見せて〜」「はいはい。あ、オタマジャクシが蛙になっているよ」「本当だ!かわいい」、その会話は微笑ましいと思いつつ、飼育箱から飛び出したらギョッとするだろうなと思ったのである。そういえば都心では見かけなくなった蛙、調べてみると昔から馴染み深い生き物であり縁起が良いとされているのだ。
奈良県の金峯山寺で行われている祭礼 蛙飛び
7月に奈良県にある金峯山寺で「蛙飛び」という祭礼が行われた。蛙の着ぐるみを纏った男性が街中を練り歩き最後地点金峯山寺にて僧侶が本尊の前で読経し、着ぐるみを脱いで人間に戻るといった平安時代から続く伝統行事である。
どうして蛙になってしまったのか、ある男が山伏に対して侮辱した態度をとったため、怒った山伏が男を鷲の窟という岩山に晒した。男は大層後悔したので金峯山寺の僧侶が男を蛙の姿に変えて救い出した。そして金峯山寺の本尊である蔵王権現の前で人間に戻したそうだ。
蛙の着ぐるみは愛嬌があり、僧侶が並び厳荘な雰囲気で法要をしている中、蛙を演じるギャップにユーモラスを感じた。
本能寺の変に残る三つ足の蛙の逸話
明智光秀が奇襲をかけて織田信長を焼き討ちした「本能寺の変」。そこにこんな逸話がある。
織田信長は「三つ足の蛙」の香炉を愛用していた。この香炉は中国から来たもののようで、三つ足の蛙は中国では青蛙神として、天災を予知する力を持つ霊獣とされ、縁起が良いものとして信仰されていた。本能寺の変の前夜に信長は公家や豪商を招いてお茶会を催していた。そこで三つ足の蛙の香炉が突然鳴き出した。信長に異変を知らせるため鳴くはずのない陶器の蛙が鳴いたのだ。それもなかなか鳴き止まず、蜀江の綿で覆ってやっと鳴きやんだそう。
翌日の夜、明智光秀によって命を落とす訳だが、もし信長が蛙の予兆を察知していたら歴史が大きく変わっていたかもしれない。
平将門の首を祀る将門の首塚に多くのカエルがお供えされていた理由
東京千代田区にある平将門の首を祀る「将門の首塚」に、多くの蛙の置物がお供えされていた。(現在は改修を経て、お供え物は禁止とされている)将門の首が、京都平安京で晒し首されていたものが飛んで帰ってきたことから、首塚に「必ずカエル」という願掛けでお参りする際、カエルの置物をお供えするようになったそうだ。出張先から無事の帰還を祈るサラリーマンだけでなく行方不明になられている人の無事を祈る人も訪れている。
蛙・カエルの名前の由来語源として
なぜ蛙・カエルと呼ばれるのか。「卵から孵る」、オタマジャクシからカエルに「姿を変える」、冬は冬眠して春に「蘇る」、徘徊しても元いた場所に「帰る」など様々な「カエル」が語源となっているそうだ。お墓でカエルに会ったなら「先祖がよみカエル」という意味で、先祖の墓を守っているそう。
個人的には顔と胴体の区別がなく表皮がヌルヌルしていそうなところに気色悪さを感じるが、気色悪いに留めず、カエルをあやかってみようかと思う。