グリーフケアという言葉は、最近広まりつつあり、ご存じの方も多いだろう。専門家でも定義しがたいとされているが、「故人を亡くした遺族の痛み、悲しみを和らげる」と捉えればよいだろう。具体的にはどのようなものなのか、その内容をご紹介する。
グリーフケアとは?具体的にどのような行為?
近しい人を亡くした人(遺族)には、精神的、肉体的に苦痛を感じることが多い。グリーフケアとはそうした苦痛を和らげるためのものである。
その内容は、遺族の抱える痛みによって変わる。何もいわず、ただそばにいることで安らげることもあるし、遺族の話にじっと耳を傾けることがよいこともある。そうした情緒面でのサポートだけでなく、葬儀の手配や書類の手続きといった雑用を引き受けることで、遺族の負担を減らすこともできる。もしくは、似た状況にある遺族同士で集まり、互いの胸のうちを語ることが援助につながることもある。このように、グリーフケアは、遺族ひとりひとりにあわせたサポートが求められる。しかし、これによって、遺族は故人と向き合い、その死を受け入れることができるのだ。
グリーフケアは第三者でなくても問題ないが…
グリーフケアに関心があるといっても、それを専門的に行う組織でなければグリーフケアはできないのか、というと、「NO」だ。しかし、遺族、特に故人との別れから間もない場合、とくに注意が必要だ。ときとして、遺族は深く傷ついていることもある。そんなとき、「がんばってね」や、「いつまでも泣いていても仕方ないよ」といった言葉は、遺族をより追いつめることもある。むろん、その言葉をかける人間との日頃の関係などで変わってくるが、やはり避けた方がよいだろう。もし、近くにそうした人がいる場合、またその人になにがしかのサポートを行いたいと思う場合、自身の言動には十二分に気を付ける必要がある。
葬儀で悲しみをいやす
グリーフケアといっても、何も特別なことをする必要はない。葬儀を行うこともまた、ひとつのグリーフケアなのだ。
近年、葬儀は葬儀社がその手配などを引き受け、執り行うことが多い。そのときに、出棺の前に少し時間を取り、遺族と故人とだけで過ごせるようにしてくれることがある。生前、故人が好んでいた音楽を流してくれたり、趣味のものを棺に納めるようすすめてくれることもある。さらには、祭壇を通常の白木ではなく、故人が好んでいたもので飾ることが遺族の心を救うケースもある。
グリーフケアの資格
グリーフケアには、資格も存在する。一つは「グリーフケア・アドバイザー」である。これは日本グリーフケア協会が定めた、民間資格である。この資格を取得することで、日本人の死別悲嘆に対する反応、その痛みをいやすアプローチのノウハウを学び、身につけたことを証明できる。特に試験はなく、申し込んだ後に研修を受けて取得する。しかし、特級(上級)のみ、取得には日本グリーフケア協会からの推薦が必要だ。
そして、グリーフ・カウンセラー。こちらは民法資格である。これは、死別の苦しみのさなかにある人を、支援する知識を持つとされる者に与えられる。この資格は養成講座を受けなければならない。しかし、それだけに得られる知識は専門的だ。
終活の一環として行う、本人によるグリーフケア
遺していく家族のために、本人がグリーフケアを行うこともある。たとえば、葬儀費用や手続きにまつわる書類などをそろえておいたり、遺言などあれば、それを正式な方法で書面にしておいたりすることも家族のためのグリーフケアといえる。それだけでなく、日頃から感謝のことばを伝えておいたり、そうした内容を日記にしたためておくのも、また、家族にとってはかけがえのない大切なものになる。胸の痛みはあれど、どこかすっきりとした、あたたかなものも感じられることだろう。また、生前に本人がグリーフケアを行うことで、自分自身もまた、いやされていくものなのだ。
祖母の旅支度をしたこともグリーフケアの一環だった
筆者の場合、祖母が亡くなったときに、足袋をはかせてもらった。実のところ、私は、祖母の訃報を受けても、一つの涙も出てはこなかった。薄情な人間だな、と、他人事のように考えた。しかし、足袋をはかせるためにその遺体にふれて、初めて死を実感した。その瞬間に、涙がぼろぼろとあふれて足袋のひもを結ぶのにかなり時間がかかった。非現実的、感傷的な物言いになるが、祖母がその死を実感させてくれなければ、私は自分をいつまでも薄情な人間と思い続けていただろう。いま思えば、あれは祖母によってなされた、グリーフケアの一環だった。