台湾北部、桃園(Taoyuan)県にある道教の寺、五福寺(Wu Fu Temple)。この境内では、扇情的な光景が見られる。ビキニ姿の女性ダンサー2人が、ネオンライトのもと、ダンスミュージックにあわせて激しく身体をくねらせる。披露するのはポールダンスとストリップ。お寺の境内でなぜ、と思うかもしれない。しかし、この扇情的なダンスは死者への手向けなのだ。
台湾の土着信仰
彼女たちは何のために踊るのか。「さまよえる霊を鎮めるため」だ。つまり、この妖艶なステージは、鎮魂の舞ともいえるのだ。
一回のステージで稼ぐ金額は3,000台湾ドル(約8,000円)。それだけでなく、終盤になるとおひねりをもらうために観客のもとに降り、男性客に身体をふれさせることもある。台湾の土着信仰の特徴は、精霊信仰と世俗性が融合している点にある。女性ダンサーを呼んでダンスを披露してもらうのは、葬式に限らない。お祭りや、結婚式でも踊るのだ。ステージはトラックが使われる。花や電飾で飾り、音響設備も完備している。これで小さな町や田舎の村などを周り、様々な宗教行事に参加するのだ。
古事記との共通点
ここで思い浮かぶのが、「古事記」だ。この中には、あまりにも有名な「天の岩戸」のエピソードがある。アマテラスオオミカミが天の岩戸に閉じこもり、世界は闇に包まれてしまう。そこで一計を案じたのがアメノウズメノミコトだ。彼女は集まったほかの神々の前でダンスをするのだが、それはストリップだった。この女神の姿に神々はおおいに盛り上がり、その騒ぎを聞きつけたアマテラスオオミカミが姿を見せて、ふたたび世界は陽に照らされる、というものだ。このアメノウズメノミコトは、いわば「陽の目を見たい」と願う地上の人々とアマテラスオオミカミの仲介役といえる。それゆえに、巫女の原型とする説もある。
俗悪か、神聖か
このような慣習は1970年代から顕著になったといわれる。そして、当然、台湾人みなが歓迎しているわけではない。これをあまりに世俗的、即物的として、嫌悪する人もある。しかし、大半の人間は、性と宗教の境目があいまいな台湾古来の、独自の文化として受け入れている。さらに、サウスカロライナ大学の人類学者マーク・モスコウィッツ氏は、「(前略)誰かの人生をたたえることで、悲しみを和らげようという発想のすばらしさを知った」と述べている。氏はこの台湾のダンサーを主題としてドキュメンタリー映画を制作している。(「Dancing・for・the・Dead」)しかし、近年は中国政府からこうしたパフォーマンスを禁止されており、都市部ではすでに行われていない。一部の田舎でのみ、見られる光景となっている。
こうした、人の死に性的なパフォーマンスを絡めたものに対して嫌悪感をもよおすことは、決しておかしなことではない。しかし、日本を例に取ると、盆踊りは死者をむかえる儀式であると同時に、自由に性交を行う機会でもあったといわれている。これは日頃のストレスを発散するためだったという説もある。また、先にアメノウズメノミコトについて書いた。この女神はダンスで人々と神をつなぐ役割を果たしている。台湾の女性ダンサーは、いわば現代のアメノウズメノミコト、巫女の役割を担っているのかもしれない。