コロナ禍の状況において特に高齢者は以前より人生の幕引きを意識することが多くなったのでないか。できることなら病院や介護施設に行くことなく、また孤独死に陥ることもなく、住み慣れた土地で人生の最期まで快活な一生をおくる「Aging in Place」を実現したいものである。
Aging in Place実現の4要素とは
Aging in Placeを実現するためには、いかなる社会情勢の影響下にあっても個人が独力で生活できる能力を持たなくてはならない。そこでシシリー・ソンダース博士(1918〜2005)が提唱する末期がん患者が抱く全人的苦痛(トータルペイン)の4要素である、身体的苦痛、精神的苦痛、社会的苦痛、霊的苦痛(スピリチュアル・ペイン)に倣って、身体・精神・関係・信仰の4つの側面から考えてみた。
Aging in Place 身体
まず優先されるべきは身体の問題である。介護施設、老人ホームなどの入所の理由として「身体障害」の占める割合は全体で2位を占めている(1)。例えば転倒などにより身体が動けなくなると心身機能は急速に低下し障害が出現する。そして寝たきりになってしまう(2)。自分の足で快活に動けることが生活の基本であることは言うまでもない。「Aging in Place」の実現にはまず健康であり快活な身体が必要である。
身体の衰えは精神の衰えにつながり、精神の衰えは人間からある種の威厳や尊厳が失われる。しかし身体を鍛錬、強化することで姿勢や表情などが活発化しアクティブなイメージを周囲に与えることができる。これは後述するように周囲との関係にも影響を及ぼすと考えられる。
体力や筋力は年齢に関わらず鍛えることができる。スポーツ庁が去年実施した体力・運動能力調査では65~79歳の高齢者の体力測定の成績が過去最高という結果になった(3)。
筆者は古武道を学んでいるが、道場には80を超えてなお、若者に劣らない身体能力を披露される方が少なくない。近年、古武道を応用した介護技術が紹介されるなど、筋力やバネに頼らない古武道の身体操作術は各方面で注目されている(4)。身体の練磨は老後への大きな備えになると思われる。
Aging in Place 精神
身体だけではなく精神もまた快活でなければならない。身体が充実していれば精神の安定、高揚にもつながりまた真である。「Aging in Place」に必要なことに、自力で生活できる知識と教養がある。読書する、議論をする、美術や音楽などに親しむといった知的活動は、精神を快活にする効果がある。また常に思考を巡らせることで痴呆などにも一定の効果が期待できる。
さらに重要なのは情報収集力である。近年問題となっている高齢者の貧困についての報道を見ても、インターネットなどを扱えない高齢者の社会保障などに対する情報力の脆弱さがわかる。ワクチン接種の申し込みすらままならない有様である。行政にはこちらからコミットして初めてその存在を知る支援制度がかなり存在するもので、孤独死や餓死などのニュースを見る度に、情報力があれば防げたと思われる悲劇も少なくない。
現代の中年層以降の世代は、個人差はあるがそれなりの情報力を持っている。20年後にはさらなる新しい情報メディアが登場する可能性は高いが、知識と教養の蓄積を怠らず、常に脳内をアップデートする気概を持つことで時代の変化に対応する力が養えるはずである。
Aging in Place 関係
以上述べた心身の快活の維持は対人関係にも大きな影響を及ぼす。「Aging in Place」において、特に高齢者に必要とされるのは家族、友人、近隣の住民など、他者とのコミュニケーションである。しかし現代社会において「独居老人」と孤独死の数は増える一方である。これには地域コミュニティの喪失という社会的な問題と、コミュニティ形成能力の不足という個人の問題が浮上している。かつて地域には隣近所などのコミュニティが存在し、独居であろうと様子を見に来てくれる人がいたり、祭りなどの催しを通じたふれあいなどで生活を支えてくれた面があった。現代、特に都市部では隣の住人が誰で何をしているのかさえ把握していないことも稀ではない。こうした環境は独居老人を孤独にし、心身を追い込むことになる。「キレる老人」のニュースをよく耳にするようになったが、狭い空間に閉じ込められ、コミュニティが形成されない孤独な環境における飢餓感が原因のひとつといえるのではないか。
家族がいない環境であれば家族以外の世界を構築する能力が必要となる。筆者の通う古武道の道場には子どもから老人まで様々な年齢の人と交わることができる。また地元の祭りなどでは奉納演武の実施、またその準備などを通じて行う地元の人たちと触れ合っている。趣味や関心を持つことで世界は広がる。地元の公民館に足を伸ばせば様々な趣味の集まりやサークルがあり、そこで出会った人が隣の部屋の住人で、一緒に通うようになったという話も珍しくないのである。地域コミュニティついては自治体などが積極的に対策に乗り出すべきであるが、まず自身で構築することを怠ってはならない。「Aging in Place」とは地域に甘えることではない。その地域で自活することが基本である。
Aging in Place 信仰
最後は信仰である。心身を錬磨し快活な人間関係を築いても、ある日突然がんが発見されることがある。事故に遭うことも、大切な人を失うこともある。知恵や努力ではどうしようもない苦痛はいつでも生活の影に潜んでいる。そこに信仰を持つ意義がある。この世を超えた存在を意識することは、先述の3要素を脅かす苦痛への備えとなる。仏教哲学者・清沢満之(1863~1901)が言うところの「大安心の立脚地」である。人生最後の切り札といってよい。ここで得られる安心を後ろ盾に3要素を磨いていくのである。そして人生の最期を安らかに迎える準備にもなる。その場合、新興宗教より歴史のある伝統宗教を学ぶのが無難である。新興宗教には優れた団体もあるが、反社会的なカルト宗教もまた多い。
良く生き、死ぬための備え
建築家の外山義(1950〜2002)は施設に入り一方的に介護を受ける「客体」にされてしまいお世話されるだけの日々では「生きる実感」を喪失してしまうと述べている(5)。貧困・孤独にあえぐ高齢者の報道を見るとそのほとんどが上記の4要素を満たしていないように思われる。友人がいない、外出をしない、知的活動もせず、人生に何の意味も見出していないように感じられた。そうした孤独で無気力な生活ではただ生きるだけとなってしまう。「Aging in Place」に必要なことは心身を練磨し、趣味に親しみ、友人・知人関係を充実させることである。まず個人の心身が快活でなければ社会的・経済的な問題に対しても向き合うことができない。
また本稿では家族との同居について語ることはできなかったが、3要素を満たすことができれば、家族に介護などの負担を可能な限り減らすことができる。さらに快活で充実した人生を送ることはおのずと明るい雰囲気を醸し出すものであり、良好な家族関係の構築が期待できる。
本稿で述べた内容は極めてアクティブな姿勢であり、万人に要求することはできない。しかし自身を磨くというテーマは、良く生き、良く死ぬための備えとして考えておかなくてはならない。
引用文献
(1)早川和男「居住福祉」1997年、岩波新書、p.92
(2)早川和男「居住福祉」1997年、岩波新書、pp.59-71
(3)日本経済新聞 2015年11月12日
(4)甲野善紀「古武術に学ぶ身体操作」2014年、岩波現代文庫
岡田慎一郎「古武術介護入門」2006年、医学書院など
(5)外山義「自宅でない自宅 高齢者の生活空間論」2001年、医学書院、pp.34-35