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浅草寺の本尊は飯能市にある岩井観音堂の観音が起源という説について

埼玉県南西部に位置し、東を狭山市・入間市に、南を東京都の青梅市・西多摩郡奥多摩町に、西を秩父市・秩父郡横瀬町に、北を比企郡ときがわ町・入間郡越生町と毛呂山町・日高市に囲まれ、西の秩父山地に向かって飛び跳ねる魚の形に似ているとされる飯能市の中で、青梅市と境を分かつ格好で流れる成木川(なりきがわ)の河岸に、「岩井観音堂」がある。

それは東京都道・埼玉県道195号線脇の階段を上り、巨岩の脇の参道を上り切ったところにある小さな観音堂なのだが、ここにかつて祀られていた観音像が流れ流れて、距離にしておよそ100km先の、東京都台東区浅草の浅草寺(せんそうじ)の御本尊となったという言い伝えがある。


浅草寺に伝わる縁記

そもそも浅草寺に伝わる縁起だが、飛鳥時代の推古天皇36(628)年に、漁師の檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)兄弟が江戸浦(現・隅田川)で魚を獲っていたところ、1体の観音像が網にかかった。しかしその日は何故か、魚が1匹も獲れなかった。その日は漁を諦め、2人は金色に輝く観音像を大切に持ち帰った。翌日、兄弟は観音像に大漁を祈って舟を出したところ、舟いっぱいの魚を獲ることができた。その噂を聞いて、近在の人々が観音様の霊験を求めるようになった。そうした状況の中、土地の郷司(ごうじ、現在の村長のような立場)、土師中知(はじのなかとも)は出家し、自宅を寺として観音様の礼拝供養に勤めた。そして大化元(645)年、勝海上人(しょうかいしょうにん)が東国巡礼の折、この地に参籠し、観音堂を建立したことが、現在も多くの参詣者が集う、浅草寺のはじまりである。


一方で、飯能の岩井観音堂に伝わる浅草寺のはじまりとは

一方、岩井観音堂にまつわる伝説がある。継体天皇の治世(507〜531年)に、ひとりの旅の僧が成木川近辺を訪れた際、美しい山々に囲まれ、清流に沿った岩畳を見つけた。そして、「この場所こそ、私の探し求めていたところだ」と、堂宇(どうう)を建てて、持っていた1寸8分(約50cm)の観音像を本尊として納め、衆生済度(しゅじょうさいど)に勤めた。しかし継体天皇の治世(531〜535年)に、「日本の開闢(かいびゃく)以来」というほどの大暴風が起こり、河川が氾濫してしまった。その結果、観音様が祀られた御堂もろとも濁流に呑まれてしまった。旅の僧と村人たちは、懸命に観音像を探したが、見つかることはなかった。しかし、およそ100年たってから、成木川〜入間川(いるまがわ)〜荒川〜と水の流れに乗った観音像は、隅田川のほとりに住んでいた漁師の浜成・竹成に…と、浅草寺縁起に繋がる格好になっている。


岩井観音堂に伝わる浅草寺のはじまりの信ぴょう性

100年前に行方がわからなくなってしまっていた観音像が、再び発見されるようなことが、そもそもあり得ることなのだろうか。現在でも、海を漂っていたものが時を経て、思わぬところで発見されることから、あながち「伝説」とは言い切れないようである。

例えば海洋漂流物研究家の石井忠(1937〜2016)は昭和54(1979)年、福岡市東区志賀島(しかのしま)北端部の勝馬(かつま)海岸で、高さ4.5cmの木製坐仏が漂着しているのを発見した。長年の漂流によって、顔や持物(じもつ)などは全て磨耗し、失われていたものの、明らかに「木切れ」とは違う「仏像」だったという。
現在のように、海洋漂流物にペットボトルの廃棄ゴミが大量に含まれることがなかった時代には尚更、こうしたことは珍しいことではなかったようで、石井は、平成4(1992)年に福井県の小浜浜(おばまはま)で、小槌を持った腕が折れた、木製の大黒像が漂着したこと。そして同年、山口県北部の附野(つくの)海岸では、中国製と思しき、十二面観音菩薩像が見つけられたことを紹介していた。
石井は、「伝説」に限らず、仏像が漂着物として発見される根拠として、どこかで仏像が不要になったり、代替わりして信仰が途絶え、といって、焼き払うのは祟りが怖いというので、海や川に流したり、海岸や川沿いの寺が災害などで流されたことを挙げている。それゆえ、岩井堂に祀られていたという金製の観音像であれば、木仏よりも原型をとどめた美しい形で引き揚げられた可能性は大きい。

時を経て、昭和8(1933)年、浅草寺から岩井堂へ、浅草の観音様の分身として1体の観音像が贈られ、盛大な法要が営まれたという。


最後に…

コロナ禍一色だった2020(令和2)年は、風水害が日本各地に甚大な爪痕を残した年でもあった。そこで失われてしまったものの中には、もしかしたら古くから伝わっていた仏像も含まれていたかもしれない。とても悲しく、やりきれないことではあるが、もしかしたら、100年、200年と時が経った後、ペットボトルゴミに混ざって、どこかの海辺や川辺に打ち上げられるかもしれない。隅田川の漁師・浜成竹成兄弟や郷司・中知のように、仏像を拾い上げ、大切にお祀りする人もいるだろう。そう考えると、災害で全てが崩壊してしまったから、それで「終わり」とは限らない。暗い1年ではあったが、我々の心に、少しの希望が湧いてくる。


参考資料

■新井清寿『飯能の伝説』1976年 飯能郷土史研究会
■人文社観光と旅編集部(編)『県別シリーズ11 郷土資料事典 埼玉県 観光と旅』1980年 人文社
■飯能市史編集委員会(編)『飯能市史 通史編』1988年 飯能市
■金龍山浅草寺(編)『あさくさ観音【図説】浅草寺 今むかし』1996年 金龍山浅草寺
■石井忠『新編 漂着物事典 海からのメッセージ』1999年 海鳥社
■五木寛之『百寺巡礼 第5巻 関東・信州』2004年 講談社
■小針美男・川本三郎『追憶の東京 下町、銀座篇』2006年 河出書房新社
■山口孝利「浅草寺」志村有弘・奥山芳広(編)『社寺縁起伝説辞典』2009年(279-280頁)戎光祥出版
■お話の会なんじゃもんじゃ(編)『飯能に伝わる民話と伝承』2011年 お話の会なんじゃもんじゃ
■「飯能市の紹介:飯能市とは…」 2017年2月1日『飯能市』
■「浅草寺へ西川材の長椅子 飯能のPRにも一役」http://www.bunkashinbun.co.jp 2017年10月13日『文化新聞』
■「ボトル用樹脂需要動向:ボトル用PET樹脂需要実績推移」 2020年4月 『PETボトルリサイクル推進協議会』
■「飯能霊地巡礼 1.岩井観音堂」『飯能・チベットを知る会』
■「埼玉県寺社案内:岩井観音堂」『猫の足あと』
■『聖観音宗 あさくさかんのん 浅草寺公式サイト


ライター 鳥飼かおる

記事掲載日:2020/12/22

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