妙好人(みょうこうにん)と呼ばれる人たちがいた。浄土系仏教、特に浄土真宗の信者の中で、篤信者と呼ばれる在野の信仰深き人たちである。彼らのほとんどは文字も読めない無知無学な民草であった。彼らは一見して奇行とも取れる言動を残している。そこには信仰とは何か、安心して生きるとは、そして死ぬとは何かのヒントがある。
「後生の一大事」を説いた浄土真宗の蓮如
浄土真宗の僧の蓮如(れんにょ 1415〜1499)は「後生の一大事」の解決を説いた。後生、つまり人生の後。死んだ後はどうなるかという究極の問いである。科学的合理主義が支配する現代においてなお、宗教が存在する意義があるなら、後生の一大事を解決することだろう。妙好人は禅の高僧たちと並ぶ、日本仏教の精華といってよい。彼らは生死を超越することでその迷いから解放されたのである。
禅の達者は禅寺で過酷な勉学と修行をした上で大悟に至った。そのきっかけは様々だ。ある禅者はよく来客に、禅とはこれだと親指を一本立てた。その弟子は師の真似をして、来客に親指を一本立てた。これを見て怒った師は弟子の親指を切り落とす。苦しむ弟子に師は禅とは何かと問う。弟子は咄嗟に無いはずの親指を立てようとした。その刹那、弟子は悟ったという。凄まじい話である。禅の問答集にはこうした苛烈な逸話が多い。
信仰をあるがままの形で実践し生きた妙好人
これに対して妙好人は学問も修行もしない。それどころか、経典すらまともに読めない人もいた。禅者と異なる点は無知無学であることだ。彼らは知識も教養もなかったが、信仰をそのまま生きた人たちであった。
讃岐の妙好人・庄松(1799 ~1871)も文字が読めない人だった。ある僧侶が噂の妙好人・庄松をこらしめようと、経典を読んでほしいと頼んだ。庄松は迷いもなく経典を受け取り、「庄松を助けるぞよ、庄松を助けるぞよ…」とすらすら「読んだ」。これには僧侶も形無しである。浄土真宗では「摂取不捨」といい、阿弥陀仏はこっちが逃げても勝手に救ってくださると説く。浄土系仏教である限り、その内容は要するに「阿弥陀仏が我を助ける」の一言である。その当意即妙ぶりは禅問答に劣らない。
救いの中に生きる
浄土真宗では「後生の一大事」自体は本来解決済みである。浄土経典「無量寿経」にはこうある。
「たとひ、われ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、 乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ」
阿弥陀仏が修業中、もし自分が仏に成る時に、すべての人が心から信じて、自分の作る国(極楽浄土)に生まれたいと願い、例えわずか十回とはいえ念仏をしたにも関わらず、もし生まれることができないようなら、決して悟りを開かない。この誓いを「弥陀の誓願」という。そして阿弥陀仏は悟りを開いた。つまりこの時点ですべての人は救われている。そこで真宗では、救われたくて念仏するのではなく、阿弥陀仏によって既に救われている身を感謝するために念仏すると説く(報恩感謝の念仏)。
しかし私たちは煩悩に邪魔されてそのことに気づかない。本当は救われているのに、あれが苦しいこれが悲しいと、迷いの中にいる。例えば自分を本当に愛してくれる人がいたとして、その人の愛に背を向け、美人であるとか資産家であるとか、そういった属性の人に目を奪われているようなものである。
疑いの余地なく心の底から信じ切っていた妙好人
妙好人は阿弥陀仏の救いを自覚し、救いの中に生きていた。それは絶対安心の境地である。彼らは修行も学業も修めることなく、ただただ阿弥陀仏と共にあった。悟りことなど到底できない凡夫はすべてを阿弥陀仏に任せることで救われるという。阿弥陀仏に救い取られることは絶対の事実なのである。あとは阿弥陀仏に任せておけばいい。
新蔵という妙好人は極貧でみすぼらしい姿をしていた。相撲に負けた大男の仲間が穢らわしい人間が紛れているからだと言って新蔵を寄ってたかって殴る蹴るを働いた。ようやく家に戻った新蔵は妻に「有り難い意見を賜った」と話す。「穢らわしいとも言われるこの身を阿弥陀仏は救ってくださる。なのに喜びもなかった自分にご意見を下さったのだ。何と有り難いことか」妻も共に歓喜踊躍の一幕であった。
阿弥陀仏の救いは確定であるので、この世で侮蔑を受ければ受ける程、そのような身ですら救われるのは本当に有り難いことだという喜びに転化されてしまうのである。
形や解釈をかえて受け入れられている現代の仏教だが
仏教は宗教ではなく合理的な哲学だという向きがいる。そのような人たちは、仏教は創造神や霊の存在、死後の世界などはには言及しないことを誇りとする。確かにその後の中観思想、唯識思想などは深層心理学との比較がされるほど精緻な理論が展開されている。こうした見方は現代では好評のようで、 テーラワーダ仏教、マインドフルネスといった宗教臭が薄い形での仏教が、合理的な思考を好む層に受け入れられている。仏教=ブッダの教えが宗教ではなく、哲学であるというならそれはそれでよいだろう。知的なアプローチは必要である。論理的であることを否定されてはならない。文明は合理的思考によって発達してきた。だが究極の苦しみの前に人間の論理などいかなるものだろうか。仏教は禅者、妙好人らの登場で、哲学を超えた宗教となったのだ。
妙好人のエピソード 「馬鹿で、馬鹿でない話」
柳宗悦(1889〜1961)は、ある妙好人の夫婦の逸話を紹介している。夜ふけに暴風雨が吹き荒れ、夫婦は本山(本願寺)が心配になった。彼らは丘の上に登り風呂敷を広げ、南無阿弥陀仏の名号を唱えながら嵐を食い止めようとした。嵐が静まるまで立ち尽くしたという。「これで少しでも風当たりが減れば」との一心からの行動だった。
この話が広がると合理的な考え方をする人たちは嘲け笑った。確かに馬鹿馬鹿しいこと極まりない。だがその一方で心を打たれる者もいて、夫婦は尊敬を集めたという。柳は「馬鹿で、馬鹿でない話」だと述べ、「かかる悧口さが人々に心のぬくもりを贈らないのは何故でしょうか?これは悧口で悧口でないものがあるためでしょう」と結んでいる。彼らを嘲笑う者は本当に悧口なのだろうか。
妙好人に触れてみる
「わしのりん十(臨終)あなたにとられ。りん十すんで、葬式すんで、あとのよろこび、なむあみだぶつ」
「りん十すんでまゐるじやない。りん十すまの(済まぬ)ときまゐるごくらく。なむあみだぶつにすめてあること。なむあみだぶつ」
妙好人・浅原才市(1850〜1932)の詩である。「あなた」とは阿弥陀仏のことである。この詩では既に才市は臨終を終えている。阿弥陀仏は既に自分を救っているのだから、生も死も後生も何もないのは当然である。この当然と思うことが、合理的現代人たる私たちにはできない。しかし、妙好人がその境地に達したプロセスは禅の悟りの場面と違って明らかでない。彼らは日々田畑を耕し、念仏を唱えて生きた。ただそれだけである。真宗では「聞法」といって仏の話を聞くことを重視する。私たちも妙好人の人生と言葉に触れているうちに、後生の一大事が解決する瞬間が訪れるかもしれない。
妙好人の逸話は微笑ましくも心打たれる珠玉の言葉の宝庫である。禅の言葉が現代人のテキストとして認知されているのに比べ、知られているとは言い難いのが残念でならない。機会があれば触れてみることをお薦めする。
参考資料
■寿岳文章 編「柳宗悦 妙好人論集」 岩波書店(1991)
■鈴木大拙「日本的霊性」岩波書店(1972 )
■「浄土の本」学研(1993)